級長選挙の思い出
実は、昨年3月に軽い脳梗塞を再発し、かねてから懸案であった頸動脈にある動脈硬化の塊を手術で摘出しました。その直後から父の頭は明らかにクリアになったのです。兄たちも「絶対に冴えたよな」と口をそろえていました。2013年に脳梗塞を発症してからは、同じ様な話を繰り返すことが増えていたのですが、私たち家族も初めて聞くエピソードが次から次へと蘇ってきたのです。
そのひとつが小学校の級長選挙の思い出。父は11歳のとき、海運会社に勤めていた祖父の転勤に伴い、小樽から逗子の学校に転校しました。小樽ではずっと級長だったので転校先でも級長に立候補したのですが、これまで級長を務めていたクラスのリーダーも手を挙げた。その子は男らしく人気もあり、父にとっては目の上のたんこぶのような存在だったようです。
先生の計らいもあり、しばらくは級長2人体制だったそうですが、次の学期にライバルが親の仕事の都合で転校することになった。それを知った父は、「心から良かったと思った」そうです。聞いている私は、なんてケツの穴の小さい話なんだと思いましたけれど(笑)。89歳の人が思い出してわざわざ語る話でもない。でも、父の心の奥にずっとあったエピソード、正に父にとっての「人生の時の時」のひとつだったのでしょうね。
最後の数カ月も、そういった思い出をワープロに書き留めていたようです。「文藝春秋」11月号には、熱海の初島で命からがら帰還した「ワーストヨットレース」を寄稿。1月号では、大学の寮生活と芥川賞受賞の頃を振り返っています(「文藝春秋と私の青春時代」)。人生の節目節目で父は「Somebody up there likes me」だった。そう本人が実感をもって言えたわけですから本当に幸せ者だったと思います。
それなのに最後の最後で癌に苦しめられた。
「なんでオレがこんなヤクザな目に遭わなきゃいけねえんだよ」
癌との闘いにそう腹を立てていました。晩年の父のそばにいて感じたのは、とにかく生きることへの執念が強かったことです。



