幽霊はともかくとして、父には、いい枯れ方をしてほしいという願いがどこかにありました。これは私の勝手な思い入れでしたが、イギリス人の映像作家デレク・ジャーマンの写真集『ガーデン』のような仕事を父と一緒にできないかと思い、父に持ちかけた事もあります。彼はHIVに感染してから、ロンドンの家を引き払い、イギリス最果ての村に移住した。そこで庭いじりをしながら余生を暮らし8年後にこの世を去りました。そのときの暮らしをまとめた『ガーデン』は一部で大変な評判になりました。社会風俗から離れて、情念のない穏やかな暮らしをしながら、ジャーマンのようないい枯れ方をして、穏やかに世界を見つめ直す眼差しを持ってくれたらなと。そういう方向に持って行きたかったのですけれど、実際はぜんぜん違った。それは所詮私の我であり、当の父こそは自我を失うことを最後まで恐れて、戦っていました。

「末期の目」がない

 父は初期の作品から生と死を主題としたものが多いのが特徴です。

 先に述べた、柄谷さんとの対談のなかで、父の長編小説『生還』(1989年)が話題にのぼっています。この作品は末期の胃がんの宣告を受けた男が常識破りの治療法に再起を賭け、奇跡的に完治するという話。柄谷さんは父に次のような感想を述べています。

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〈石原さんは依然として健在だなと思った。つまりあれ(『生還』)には「末期の目」がないんです。日本の美学の伝統から言えば、必ず「末期の目」に映ったものは美しいとなる。しかし、『生還』は絶対生き返ろうとしてるでしょう〉

 結局、自分自身が個として存在していることが一番だから、それは政治家としては問題になる。私が素人目で見ても、アーティストが政治家やっているわけだから、派閥なんて束ねられる訳が無い。人気があっても総理大臣になるのは厳しいと思っていましたし、なったら失言で内閣はひと月で倒れてしまったのではないでしょうか(笑)。逆に都知事は、都民の皆さまが直接選ぶ大統領制みたいなところがあるから、持ち味を生かせるところがあったのではないかと思います。

 息を引き取ってから自宅に帰ってきた父はとても穏やかな顔で安らかに眠っていました。私は叔父(裕次郎)や父方の祖母が亡くなったとき、父に言われてデスマスクを描かされたのですが、亡くなったことに直面させられる無表情がとてもつらかった。その時々とは違い父は笑みさえ浮かべていて、まるで仏様のような顔をしていました。家族みんなで「普段からこれくらい優しい顔をしていたら、みんなもっと優しく接してあげられたのに」と言いました。

石原裕次郎氏(右)と石原慎太郎氏 ©︎文藝春秋

 でも、それで終わらないのが父です。納棺する際、いつも着ていたグレーのダブルのスーツに身を包み、お馴染みのアスコットタイとチーフをつけていました。それがもう生々しくて今にも目を覚ましそうです。シーツの端を持って、棺に入れるのに手間取っていたら、さっきまで穏やかだった父の顔が急に不機嫌そうに変わったのです。「手際が悪いんだよ、お前たちは!」と怒り出しそうであまりに父らしく、家族みんなで泣き笑いしました。