「最初の3カ月は、福田元首相の関係先の事務所があったホテルオークラの別フロアの角部屋で過ごしていました。長男の恭にはオークラのコンソメスープを離乳食代わりにあげていたので、今でも恭にはそれが思い出の味になっているんです。ただ、周囲の様子を窺いながら部屋の中にじっとしていても気が滅入るからと、(金沢)千賀ちゃんは林先生の議員事務所にお手伝いに行っていました。安岡先生の意向を受けた林先生が、目の前で当時官房長官だった宮澤喜一さんに電話していたと聞き、援軍もいると心強く感じていました」
検察側も、まさか目と鼻の先に逃亡犯が潜んでいるとは思わなかっただろう。しかも、逃亡の背中を押したのは、竹内が對馬に発した「隠れておきなさい」という何気ない一言だったという。
その後、幸子らは全国を転々としながら、對馬ら支援者が手配した家で素性を隠して過ごした。幸子が続ける。
「石垣島には長くいました。親戚も頼れず、秘書の二人は身内に電話する時も『北海道にいる』と噓をついて、居場所を絶対に口にしませんでした。一度、沖縄本島まで足を延ばしたら、宿泊先のホテルムーンビーチ(当時)で偶然検察官の講習会が行なわれていた時は肝を冷やしました。足跡が辿られてしまうので、保険証も使えず、恭が病気になったり、事故に遭ったりしないよう常に気を張っていました。逃亡中に雑誌では千賀ちゃんが『加藤の愛人だ』と騒がれていましたが、記事を見て彼女は『私、愛人なんだって』と笑っていました」
穏やかな素顔の金沢千賀子
マスコミは当時38歳の金沢が、加藤の金庫番で、“陰の女王”と呼ばれていたと写真入りで書き立てた。しかし、その素顔は、女王には程遠く、至って穏やかだった。2020年11月、妹と都内で取材に応じた金沢は、緑色のカーディガンを羽織り、上品な印象で、微笑みながら約40年前の出来事を振り返った。
「長い逃亡生活でした。もともと私と妹は、化粧品会社のレブロンで社員教育などをしていた幸子さんの生徒だったんです。その縁で、銀座にあった加藤さんの事務所で働くようになりましたが、最初はお客様が来て仕事の話になると、『ちょっとお茶でも飲んで来て』と言われ、席を外していました」
金沢は次第に誠備の関係書類を整理して報告書に纏め、幸子の自宅に毎日届ける仕事を任されるようになった。
「加藤さんが逮捕された後、妹のところにも早朝に地検の係官が来て、『お姉さんの行方を知りませんか』と言われたそうです。間一髪でした。その後は、九州が長かったですが、鎌倉や静岡県にもいました。恭君と一緒に海岸で遊んだりした思い出があります。用意された部屋はどこも家財道具が揃っていて、着るものはその都度現地で買っていました。逮捕状が出たことは後で知りましたが、私を捕まえても何にも知らなかったんですけどね」
滞在先には支援者がおもちゃを持って訪ねて来たり、林大幹の女性秘書が遊びに来ることもあったという。
