「外のことは全部やってある」

 對馬が面会の際にそう話したという情報が伝わると、特捜部内は色めき立った。特捜部は加藤逮捕に先立つ2月9日、誠備の社員と有力会員を所得税法違反容疑で逮捕し、強制捜査に乗り出していた。そこを突破口に加藤の脱税幇助、さらに加藤自身の約23億円の脱税に切り込むつもりだった。だが、その時すでに、政治家や財界人を始めとする誠備の秘密会員の顧客台帳などの重要書類は、運び出された後だった。正確に言えば、検察側は黒川木徳証券の目と鼻の先にある日本橋の千代田会館内に置かれた、もう一つの加藤事務所の存在に気付いておらず、完全に見落としていたのだ。

 強制捜査の翌日、この事務所では、書類を箱詰めする作業が行なわれ、人目に付かないように段ボールが運び出されていた。2トン車に積まれた段ボールは、女性従業員の自宅などに運び込まれていたという。幸子が振り返る。

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「誠備の関係者が、トラックで運んだ荷物とは別に、重要書類が入ったトランクを持ち出していて、預かってくれる先を探していました。ただ、私は身動きがとれない状態で、自宅には誠備と関わりがあった政治家の方などからも次々と電話がありました。のちに別の脱税事件で逮捕された衆院議員の稲村利幸先生からは『僕の名前は出さないでね』と言われ、余計なことを喋ったら大変なことになると怖くなりました。当時は、誠備事件の全てが明らかになるとロッキード事件以上の疑獄事件になると言われていましたし、周囲からも、『もう電話にも出なくていいし、外にも出ないで欲しい』と釘を刺されていました」

妻と子の逃亡劇

 書類入りのトランクは、幸子から對馬に預けられた。對馬は、新宿にいる手配師の女性に渡したが、そこから先はどこに行ったのか、幸子も分からなかったという。對馬は、その手配師の女性を、いつも鼻毛が出ているからと、「新宿の鼻毛のオバサン」という独特の符牒で呼び、詳しいことは語ろうとしなかった。情報管理は徹底され、加藤を守るネットワークは幾重にも張り巡らされていた。

 幸子は自宅に籠もり、ジッと待っている不安を紛らわせるように、保釈を求める嘆願書の下書きを始めた。2枚の便箋に走り書きした文章が残されており、そこには加藤が急性腸炎や喘息、肝機能障害によって前年の夏から不調を訴えていたこと、さらに誠備の会員から電話が昼夜を問わずひっきりなしにかかり、〈株価を下げない為にも早く釈放を〉と悲痛な声に心を痛めている様子が綴られていた。日付は3月9日となっているが、これが実際に提出されたかは定かではない。

 実はこの直後、幸子は2歳の息子・恭や加藤の女性秘書2人とともに忽然と姿を消したのだ。焦った特捜部は書類管理の責任者だった秘書の1人、金沢千賀子の逮捕状を執り、行方を追った。ここから2年以上に及ぶ逃亡劇が幕を開けていく。幸子がその経緯を明かす。