スター俳優の自然な演技で伝える、若者へのメッセージとは

 坂元が広瀬すず、杉咲花、清原果耶という3人のスター俳優のキャスティングを提案し、実現した本作。単独でも圧倒的な存在感を放つ3人が一つの画面に収まっているだけで、既に観る価値があると思わせる。びっくりしたのは、それぞれの個性が互いを食い合うことなく、柔らかい一体感を形成していたこと。スクリーン上で3人がまるで一つの存在として、輝かしい大きな光を放っているのが新鮮だった。

 姉妹モノの作品において広瀬すずは絶対にキャスティングしたい鉄板の存在であるが、『海街diary』(2015年)でも『阿修羅のごとく』(2024年)でも末っ子役だったのに対し、本作では長女的なポジションを担っている。そこに新たな魅力があった。本作はトリプル主演でありつつも、広瀬が大きな柱としてどっしりとした存在感を示していることで、杉咲と清原がより伸び伸びと役柄を表現できていたように思う。この絶妙なバランス感が、物語に深みを与えている。

広瀬すず

 もちろん、それぞれの見せ場はしっかりと用意されている。好意を持つ相手への想いがどうしようもなく溢れ出す広瀬の愛おしい演技。感情が沸き起こり涙に至るまでのプロセスを、表面的ではなく、心の奥底から丁寧に積み上げて表現する杉咲の泣きの演技も健在だ。そして、これまで比較的おとなしい役が多かった清原が感情を爆発させるシーンは、そうせざるを得ない切実さに胸を打たれる。誰かが他の俳優を凌駕するような関係ではなく、3人がそれぞれの役柄を見事に演じきり、物語の中で自然に共存している。坂元が俳優に当て書きしたことで実現した、観たい3人がそのままスクリーンの中にいるという奇跡を目の当たりにできるのもうれしい。大概の人が坂元裕二作品の好きなところとして軽快な「会話劇」を挙げたがるが、本作はテーマゆえに言葉よりも「思い」を重視することで、役者の力を信じた脚本に仕上げている。そこにも敬意を示したい。

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 坂元は普段、テレビドラマにおいては登場人物の履歴書を作成し、キャラクター像を緻密に作り込むことで知られている。しかし、本作ではあえてそれをせず、3人を意図的にフラットに描いている。これは、3人それぞれではなく、一つの共同体的人格を示す意図もあっただろうが、何よりも特別な誰かではなく、観る者誰もが自分自身の物語として受け止められるよう意識されているからだろう。

 これまでの坂元作品の登場人物は、「大豆田とわ子」や「中村慎森」のように、名前に特徴を持たせることで特別な人としての個性を強調することが多かった。それはキャラクター重視の作品においては有効に機能する手法だ。しかし、本作はそうではない。美咲、優花、さくらという、それぞれの役の年齢において最も人気で馴染みのある名前が付けられていることからも、特別な物語としてではなく、誰もが経験しうる普遍的な出来事として捉えてほしいという作り手の意図がうかがえる。

 ドラマ『anone』では目に見える存在として幽霊が描かれたが、今回、誰にも気づかれないけれど確かに世界に存在している幽霊たちの視点から物語を紡いだのは、社会から「ただのかわいそうなお話」として処理され、透明化されてしまいがちな、多くのマイノリティの代弁とも捉えられる。世界が彼らを無視し続けても、それでも彼女たちは「私(たち)はここにいる」と声を上げ、叫ぶ。どうにもならないと分かっていても、その思いが届かなくても、抗うことをやめられない。そして、やめてはならないのだという強い意志を感じさせる。

 かつて『カルテット』がとある不登校の17歳に向けて書かれたように、本作のメッセージもまた、社会への不安や他者への恐怖、そして自身の居場所に悩む若い世代に向けて作られているように思う。社会とうまく接続できないことに悩みもがくときには、劇中の灯台のシーンにおける「飛べ!」という言葉が、合唱曲「声は風」が、きっと困難を乗り越えるための力となってくれるだろう。特にラストの合唱シーンはすばらしく、音楽映画として何度も見たくなる。

『片思い世界』公式Xより

「僕は思うんですけど、たとえばある人が小説を書くじゃないですか。それを引き出しにしまって閉める。そのまま二度とその引き出しは開かなくて、それは読まれることがないとする。じゃあその小説は存在しなかったのかっていったら、僕は、してるでしょ?って思うんですよね」

 これは『スイッチインタビュー』で坂元自身が語っていた言葉だ。気持ちや思いが生まれたこと自体が尊い。たとえそれが誰にも知られず消えてしまったとしても、それは無駄ではなく、一つの光として確かに存在している。だとしたら、片思いだらけのこの世界のことも、ちょっとは愛してもいい気がする。

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