魯粛だけが主の孫権に天下に本気だった

 ずいぶん昔に、三国志の世界をのぞいたとき、わからないことがいくつかあったが、そのひとつに呉の魯粛(ろしゅく)だけが劉備に親切であったということがあった。孫権(そんけん)のためになんの役にも立たぬ劉備を助ける必要などない、と毛嫌いする周瑜(しゆうゆ)の心理のほうがわかりやすかった。

 だが、三国志の世界を書く側にまわって、はじめて魯粛の器量の巨きさがわかった。ほんとうに主である孫権に天下をとらせようとしていたのは、魯粛だけであったということである。天下の三分の二をとりつつある曹操をどのように倒すか。孫権が単独で立ち向かっても勝てないとなれば、どうしても協力者が要る。その協力者は劉備しかいない。それゆえ劉備が弱小のままではこまるのである。そういう配慮ができる魯粛が病死した時点で、孫権の天下とりは終わったとみてよい。

宮城谷昌光『三国志名臣列伝 呉篇』

 さてこの名臣列伝を書きはじめた時点で、「呉篇」は、陸抗(りくこう)で終わる、と決めていた。陸抗ほどすがすがしい人物は、めったにいない。かれは父の陸遜(りくそん)が孫権にいじめぬかれて死んだとわかっていながら、孫権にたいしてひとことも怨みごとをいわず、呉のために尽力した。しかも敵将の羊祜(ようこ)とは、徳をもって競った。みごとというしかない名臣である。

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2025年3月吉日

 

宮城谷昌光(みやぎたに・まさみつ)

1945年、愛知県蒲郡市に生まれる。早稲田大学文学部卒。出版社勤務のかたわら立原正秋に師事、創作をはじめる。その後、帰郷。長い空白を経て、「王家の風日」を完成。91年、「天空の舟」で新田次郎文学賞。同年、「夏姫春秋」で直木賞。93年度、「重耳」で芸術選奨文部大臣賞。99年度、司馬遼太郎賞。2001、「子産」で吉川英治文学賞。04年、菊池寛賞。06年、紫綬褒章。15年度、「劉邦」で毎日芸術賞。16年、旭日小綬章。主な著書に「孟嘗君」「晏子」「太公望」「楽毅」「孔丘」「公孫龍」「張良」「諸葛亮」「三国志名臣列伝」シリーズ、十二年の歳月をかけた「三国志」全十二巻などがある。

三国志名臣列伝 魏篇

宮城谷 昌光

文藝春秋

2021年9月22日 発売

三国志名臣列伝 蜀篇

宮城谷 昌光

文藝春秋

2023年2月22日 発売

三国志名臣列伝 呉篇

宮城谷 昌光

文藝春秋

2025年5月28日 発売

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