中国歴史小説の第一人者・宮城谷昌光さんのライフワークともいえる名臣列伝が、ついに『三国志名臣列伝 呉篇』でついに完結! あらためて三国志の世界に広がる豊かな支流の景色を綴った――。

 

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 前漢の比類ない歴史家である司馬遷(しばせん)は、自分が書いた歴史書を編纂する上で、紀伝体、を発明した。

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 紀は、帝王の記録で、伝は、個々の伝記である。

 長い歴史の全容を示すには、その形式がよいとおもった歴史家が多く、司馬遷の『史記』のあとにあらわれた『漢書』と『三国志』、さらに、それらより遅い成立の『後漢書』まで、その形式を襲用した。

 

 私としては、紀伝体の伝は、河水(黄河)あるいは江水(長江)にながれこむ支流のように想われた。どの川も、支流は本流ほどの迫力をもっていないかもしれないが、それらの景色は本流のそれに劣るとはかぎらない。そういうおもいで私は『三国志名臣列伝』の「魏篇」「蜀篇」「呉篇」を書いた。私が書いたのは小説であるが、それでも司馬遷の紀伝体をまねたことになる。

 紀にあたる『三国志』を「文藝春秋」本誌で十年以上も連載をつづけたが、

 ――書き尽くせない。

 と、おもった人物が多々あった。それほどその歴史世界は奥が深い。そこで「オール讀物」の誌面を借りて、名臣とおもわれる個を掘り下げさせてもらった。