政治的なアパルトヘイトはなくなったが…

 アフリカ初体験の西牧氏だったが、「知らなかったアフリカ」を目の当たりにした。

 南アフリカと同じように、ナミビアでももうアパルトヘイトはないと思っていた。確かに政治的なアパルトヘイトはなくなったが、現地では白人富裕層が富を独占していた。富の偏在で居住区域も事実上、分断されている。黒人の子どもが通う学校は、木をそのまま柱にしてブリキを壁代わりにしていた。青空教室も多かった。ところが、ウイントフック市内にあるドイツ人の学校は鉄筋コンクリートで、体育館は壁にクッション材を張り、冷暖房完備だった。

「大使なんて毎晩高級ワインを飲みながら、社交を楽しんでいるんだろう」という一部の世評をどう思うのか。

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「私の大使生活は、汗まみれホコリまみれの記憶が大きいです」(西牧氏)

ホステル職員(右)から話を聞く西牧本使とムブンバ大統領夫人

外交官になった以上、どんな国でも行くべき

 地方で経済協力の式典に出れば、砂埃が舞う灼熱のなか、式典会場は粗末なテントというありさまだった。国歌斉唱のため、君が代のCDを持参したが、電気が通っていない。仕方がないので、アカペラで大声を張り上げて君が代を歌ったことが何度もある。唯一の気分転換は、公邸の庭にやってくるコザクラインコやキジなどへの餌付けぐらいだった。

 最近、外務省では残業手当が100%出るようになった。西牧氏が若手だったころは25%が上限だった。最近は、東京にいても残業時間次第で、海外手当に近い給与が支給されるため、瘴癘度(ハードシップ)が高い国に行きたがらない外務省職員も増えているという。西牧氏は「私は外交官になった以上、どんな国でも行くべきだという考えです。ナミビアの生活も大変でしたが、まったく知らなかったアフリカの姿に出会えて幸せでした。より厳しい条件の国々で勤務する同僚には頭が下がります」と話した。

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