圧倒的に白星を稼げた「シンプルな理由」
金田がなぜこれだけ傑出した成績を挙げることができたのか? 一つには、彼が当時としてはずば抜けて大柄だったことがある。身長184cmは、今のプロ野球なら平均より少し上程度だが、1950年代の成人男性の平均身長は162cm前後、プロ野球選手でも170cm程だった。この時代に184cmの上背から投げ下ろす球は圧倒的な威力があった。
NPBで300勝投手は5人いるが、米田哲也180cm、小山正明183cm、鈴木啓示181cm、別所毅彦181cm、ヴィクトル・スタルヒン191cmと、全員が当時としてはずば抜けた長身だった。
もう一つは、金田が「高校中退」で入団したこと。金田は愛知・享栄商の3年に上がる前に国鉄に入団している。まだ16歳だった。すでにプロで通用する実力があったが、デビューが他の選手よりも早かったのが大きい。
また1950年はプロ野球がセ・パ2リーグに分れたばかりであり、戦力が整備されていない球団も多く、実力差が大きかった。金田は巨人、阪神などにはあまり通用しなかったが、西日本、広島、大洋など新興チームから多く勝ち星を挙げた。そういうレベルからスタートして、次第に実力を蓄えていったのだ。
そして何より大きかったのは「故障しなかった」こと。金田は独自のトレーニング法を磨くとともに食生活にも細心の注意を払った。デビュー当時、貧しかった金田の肩には家族全員の生活が懸かっていた。絶対に故障できないと言う責任感があったのだ。動画を見ると、今の投手とは異なり、金田正一は、ゆったりとした無理のない動作からボールを投げ込んでいる。打者との実力差もあったが、金田は自らの努力で「怪我をしない投球術」を編み出したのだ。
ただ、金田が前人未到の「400勝」を挙げることができたのはその実力に加え「弱小球団だったから」という側面も実はあるのだ。
その他の写真はこちらよりぜひご覧ください。