日本のプロ野球にはさまざまな金字塔がある。例えば、王貞治が生涯に放ったホームランの数である「868本」はその一つだ。しかし、それ以上に難しいのが金田正一の残した「400勝」である。いったいなぜ、金田は前人未到の記録を残せたのか。そこには金田の執念とともに、皮肉な理由があった。『野球の記録で話したい』(広尾晃著、新潮社)から一部抜粋し、お届けする。(全3回の3回目/1回目を読む前回を読む

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読売ジャイアンツで「250勝」以上した投手がいない悲しい理由(読売ジャイアンツ公式HPより)

勝ち星が多いピッチャーが「弱小球団」に多い皮肉

 金田が前人未到の「400勝」を挙げることができたのはその実力に加え「弱小球団だったから」という側面も実はあるのだ。NPBの300勝投手と所属球団別の勝利数は次の表のようになっている。

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過去「300勝」を達成した投手たち(書籍より抜粋)

 1955年7月30日、スタルヒンが史上初の300勝投手となり、1959年10月14日に別所が2人目となったが、この2人は巨人、南海と言う強豪チームのエースとして勝ち星を積み上げた。しかし、それ以降に300勝を達成した投手の多くは、毎年優勝に絡むような強豪チームのエースではなかった。

 たまに優勝することはあるが、Bクラスに沈むことが多い球団で投げまくっていたのだ。2位の米田哲也がいた阪急は、1967年に西本幸雄監督の采配で初優勝して以降、強豪チームになっていくが、それまでは「灰色のチーム」と言われ、下位に低迷していた。米田はその「灰色の時代」に209勝を挙げている。