勝手にマウンドへ上がった「金田の執念」
気が気ではなかった金田は翌日の同じカード、プロ未勝利だった島谷勇雄が4回まで無失点に抑えていた5回に、「わしが投げる」とばかりに勝手にマウンドに上がった。しかし宇野光雄監督は審判に交代を告げない。金田は憮然とした表情でマウンドから降りて、ボールをベンチ前で叩きつけた。
しかし島谷が5回に先頭の横山昌弘に三塁打を打たれると、金田はまたも勝手に審判に「次、わしが投げるから」と告げてマウンドに向かった。宇野監督もしぶしぶ審判に交代を告げることとなる。金田は5回を締めくくり無事20勝を挙げたが、翌日の新聞は金田の大記録をたたえつつも「大記録を汚す態度」と批判した。この時、金田に勝ちを譲った島谷は結局、未勝利のまま引退している。
金田の400勝は、巨人に移籍して5年目の1969年10月10日の中日戦で達成されたが、この試合も先発の城之内邦雄が4回まで投げ、5回以降をつないだ金田が1失点で試合を完了させたものだ。金田の400勝は確かに空前の大記録だが、こうした「金田天皇」ならではの横車を押すような行為が散見されるのだ。
選手のマナー、ふるまいに対するチェックが厳しくなっている昨今なら、こうした専横は、許されないのではないか。そういう意味でも、金田正一は「過ぎし時代の大投手」だと言えよう。
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