「火力配当」が戦術の肝
──戦闘開始前、中隊への火力の配備不足について、不安の声が隊員の間から上がります。実際、火力不足はやはり悩みの種なのでしょうか?
砂川 このご質問に答えるには、まず「戦闘力」というものに触れないわけにはいかないな、と思っておるところです(笑)。一般的に戦闘力というのは(単純化すると)、下記のような要素に分けられます。
・敵に対して有利な態勢を占め、戦闘力を発揮するための「機動力」
・敵を直接威力する「火力」
・敵の直接的威力から身を守る「防護力」
この三つの説明にはどれも「敵」という単語が含まれていることからもお察しいただけると思いますが、こうした戦闘力を構成する要素単体で「強弱」や「多寡」が測られるということはあまりなく、これらは競争者と相対化されることではじめて評価が下せるという性質のものでもあるのです。
本題の火力ですが、これは対地・対空・対海上火力に区分され、また対地火力はさらに「普通科火力」や「ヘリコプター火力」……というようにどんどん専門分化をしていくのですけれども、この各種火力をどこにどう持ってくるか(「火力配当」といいます)というのが戦術の肝――あるいは各級指揮官のプライドがぶつかる現場――となってきます。
なぜ火力配当が戦術の肝になるかといえば、「優勝劣敗」という言葉にも現れてもいるように、数(例えば砲門数や戦車の数)に勝れば敵よりも優位に立てるという戦術的な常道がある一方、仮に全体の数で負けていようとも、特定の戦場等に集中的に火力を投入することで、局所的に“優勝劣敗”を作りだすことができるからです。
ただ、あまりにこの部分を強調しすぎると旧軍以来の「寡をもって衆を制する」ことを至上とするような悪弊に落ち込んでしまう可能性もあるので、この解釈にはよくよく気を付けておかなければなりません(蛇足ながら、全体の数で敵を圧倒していても、戦力を小出しにしたり出し惜しみをしたりすれば、戦場ではその数が逆転してしまうということもあり得るわけです)。
なので火力が不足しているかどうかは、身も蓋もない話ですが、「敵(の数)次第」ということになります(笑)。作中にあったような弾薬上の制約は、現実世界における課題というよりも、「舞台装置」的意味合いの方が強いのかなと思います。
──自衛隊では、人員不足もやはり悩みなのでしょうか?
砂川 途中で辞めたお前が言うなって話ですが、多分、困ってると思います(笑)。特に現場では、任務の増大と多様化が隊員一人当たりの負担を増加させて、それが人材流出を誘発してまた負担が増して……というような負のフィードバックループに陥ってしまっているような印象があります。
もちろん、私が自衛隊を去ってからもう数年経ちますし、今はもうずいぶんと状況も違っているでしょうから話半分に聞いていただければと思います。かつて私がいた頃はそのような状況をよく見聞きしたというだけの話ですが、とはいえこれも、北は北海道、南は沖縄まで一律このような状況なのかといえばそうではなく、地域や部隊ごとに様々なグラデーションがありました。人が足りない、という問題は全体としてあるのでしょうが、おそらく今もその濃淡はまちまちなんだろうな、と思っているところです。
──最後に。リアルさが話題のマンガ『小隊』ですが、ミリタリーファンだけでなく広く一般の読者にも広がっていることについて、原作者としてどのように捉えていますか?
砂川 “リアル”という評価をいただけることは原作者冥利に尽きますが、と同時に、一般受けする作品ではないかもしれない、ともはじめの頃は思っていました。
それでも今回のような反響があるというのは、不確実性高まる現実に対する不安のようなものと本作の状況を重ねてみる人がそれだけ多いと捉えることもできそうです。
原作を書いている時、私は将来このような事態が起きるかもしれない、という予想を立てるのではなく、むしろ過去に起きた紛争や戦争を手掛かりにして創作の原動力としていました。もしかすると、本作が話題になるというのは、私たちが生きる現在と、戦争が日常としてあった過去が繋がりつつあるといっても、あながち言い過ぎではないのかもしれません。
すなかわ・ぶんじ
1990年大阪府生まれ。元自衛官。2016年、「市街戦」で文學界新人賞を受賞しデビュー。22年、「ブラックボックス」で芥川賞を受賞。著書に『小隊』『臆病な都市』『越境』など。





