「逃げたら母の病気が悪くなると思った」
久しぶりに家族が勢ぞろいし、父の実家に近い静岡県沼津市に居を移しました。父は朝早くから夜遅くまでモーレツに働き、酒屋を開店します。7歳年下の弟も生まれ、ようやく幸せな暮らしがはじまるはずでした。ところが、戦争の苦労がたたったのか、母は脊椎カリエスという病気にかかります。
脊椎カリエスは結核菌が脊椎に感染して起こる病気で、当時はまだ治療薬がありませんでした。骨が溶けて流れ出るので、膿を注射器で抜いて、毎日ガーゼを替えなければなりません。母はベッドにしつらえた石膏製のコルセットのなかで痛みに耐えながら、体を動かすこともできず、その状態で数年を寝たきりで過ごしました。
母はまだ30代でしたから、そのときの絶望はどれほど深かったことでしょう。私は母の病気回復祈願のために毎朝4時に起きて遠くの山寺にいわゆる「寒参り」をし、将来は母の病気を治すために医者になると誓いました。
父は献身的に母の看病をしました。物がない時代にもかかわらず、母に食べさせるためにバター一口、卵1個を手に入れようと駆けずり回り、金に糸目をつけずにあらゆる民間療法を試しました。
わが家の生活はどうしても病気の母と幼い弟が中心になります。そんななか、私は自分だけ家族の輪から外されているような疎外感を味わっていました。もっと父と母に愛されたかった。
母は死を覚悟していたと思います。自分がいなくなっても、ひとりで生きていけるように私を厳しくしつけました。学校から帰ると、母は私をベッドの横に座らせて勉強させました。
教科書が暗記できないと、二尺ものさしでビシッと叩かれる。教科書を引き裂かれて、窓から放り投げられたこともありました。母は寝たきりですから、母のおしおきから逃げることもできたのでしょうが、逃げたら母の病気が悪くなると思うと、逃げられませんでした。
