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一流選手はイジメのような非生産的なことはしないだろうが……

 こういうことをやってくるのは、いわゆる体育会系の連中だ。卓球部員やテニス部員はまだマシだが、バスケ・柔道・野球・ラグビー・ハンドボールあたりの部員には結構ひどいやつがいる。

 だが、なにより最も激烈な威嚇と攻撃を加えてくるのは、私の場合なぜか、必ずサッカー部員であった。学年や学校が変わるたびに個々の相手の顔ぶれは変わったが、サッカー部の規約に「弱いやつは虐待せよ」と活動規則が定められているのかと思うほど、彼らは例外なくそういうことをやる(筆者調べ)。

 重ねて言うが、私は競技としてのサッカーは嫌いではない。だが、W杯の日本代表をはじめとする日本人のプロサッカー選手を見ると「こいつらはかつて私(ほか日本全国の運動音痴少年)に理不尽な差別と迫害を加え、基本的人権を踏みにじってきた連中の最高峰である」という意識が先に立ち、本能的に忌避感と嫌悪感を覚えてしまうのである。

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 もちろん、実際のプロサッカー選手には、人格的に立派な方がたくさんおられるはずだ。日々練習に励む全国のサッカー少年にも、優しい心を失わない良い子が大勢いるだろう。本当にストイックに競技に取り組むような人は、運動能力に劣る素人をいじめてドヤ顔をするような非生産的なことはまさかしないだろう。

 だが、理不尽な差別と迫害にさらされた民の恨みは恐ろしい。チェチェン人の多くがロシアという存在について、パレスチナ人の多くがイスラエルという存在について、とにかく大雑把にその属性全体を憎んでしまいがちであるように、私はプロサッカー選手に象徴される体育会系という「種族」自体が、なにはともあれ怖くて憎くて大嫌い――。つまり苦手なのである。

「気高い青色の衣の戦士」に熱狂する人たち

6月19日夜、コロンビア戦終了後、渋谷のスクランブル交差点にて ©時事通信社

 さて、ひるがえってサッカー日本代表である。いまやTVを見ても街を見ても、圧倒的多数の日本国民は、芝生の上で青いユニフォームを着て走り回る筋肉のついた不動産屋の営業マンみたいな兄ちゃんの集団(注:私の目にはそう見える)が自国の誇りを体現する存在であり、国民の輝かしき代表者であると考え、熱い視線を注いでいるようだ。

 かの、混じり気のない気高い青色の衣をまとった戦士たちは、日本国家と日本民族が持つ一切の正なるイメージを凝縮したサムライの末裔だ。彼らの勝利はわが国家の勝利で、彼らの栄光はわが民族の栄光である。その活躍は日本国民に勇気と感動をもたらし、心地よい酔いへといざなう。ゆえに多くの人たちはサッカー日本代表を熱狂的に応援している。

 念のために断っておけば、私は「日の丸を掲げた群衆の姿から軍靴の足音が聞こえる」みたいな手垢のついた主張をぶつ気はないし、国際スポーツ大会に熱狂する行為がすべて悪だとも思わない。日本代表の勝利を自分自身の勝利だと感じて喜ぶ人たちについても、それはそれで個人の自由なので別にいいと思う。