お墓なんてまっぴらごめん
私は死んでもお墓なんていりません。田嶋家のお墓には父も母も入っていますが、自分は入ろうとは思いません。冷え性ですから、あんなに狭くて冷たい石のお墓に閉じ込められるのは、まっぴらごめんです。
私の理想は遺体をくるんでもらって、そのまま海に放り込んでもらうこと。以前インドネシアのバリ島でシュノーケリングをしたとき、海の底がとてもきれいで、静かでした。魚たちもきれいで、泳ぎ回ってる姿を見ているだけで、あっという間に時間が過ぎていきます。生きてる間にさんざん魚のお世話になったわけですから、死んだら魚たちにお返しがしたい。魚たちに遺体をチュンチュンつついて食べてもらって、「ああ、くすぐったい」と思いながら朽ちていけたら最高です。
それが無理なら、せめて焼け残った骨や灰を海にまいてほしい。近ごろは海に散骨してもらうことがニュースになりますが、あれは一部だけをまいているのでしょう。私は全部まいてほしい。その夢が実現するか分かりませんが、少なくとも自分が死んだらこうしてほしいということを言い残しておかないといけませんね。
私がお墓を嫌うのは、お墓が家と切り離せないものだからです。お墓を守るといっても、結局は男系の家を守るためのもの。「○○家代々の墓」というのがまさに家意識を反映しています。先祖をまつるといっても結局は男ばかり。女は嫁として男の家に取り込まれてしまいます。フェミニズムの立場から見ると、日本の墓は家父長制の象徴なのです。
にもかかわらず、いつもお墓を掃除したり、お花を供えたりしているのは女です。ここでも男たちのお墓を守るために、女が奉仕させられている。死んだ後にまで、女が男たちに縛られることはないのです。
