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歌麿は「自意識と自信を体一杯にたぎらせた強烈な存在感をもった人間」と評されることがありますが、そうした人間ならば自分の才能を認めてくれなくなった人のもとを去ったとしてもおかしくはありません。蔦重は寛政9年(1797)に亡くなりますが、歌麿は蔦重の死後も絵を描き続けています。
ところが文化元年(1804)、『太閤記』(豊臣秀吉の伝記)に取材した錦絵が徳川幕府によりとがめられ、歌麿は入牢・手鎖の刑を受けることになります。その2年後、歌麿は失意のうちに亡くなったとされます。美人画の第一人者とされた歌麿の最期は不遇でした。
参考文献
・松木寛『蔦屋重三郎』(講談社、2002)
・鈴木俊幸『蔦屋重三郎』(平凡社、2024)
濱田 浩一郎(はまだ・こういちろう)
作家
1983年生まれ、兵庫県相生市出身。歴史学者、作家、評論家。姫路日ノ本短期大学・姫路獨協大学講師・大阪観光大学観光学研究所客員研究員を経て、現在は武蔵野学院大学日本総合研究所スペシャルアカデミックフェロー、日本文藝家協会会員。著書に『播磨赤松一族』(新人物往来社)、『超口語訳 方丈記』(彩図社文庫)、『日本人はこうして戦争をしてきた』(青林堂)、『昔とはここまで違う!歴史教科書の新常識』(彩図社)など。近著は『北条義時 鎌倉幕府を乗っ取った武将の真実』(星海社新書)。
作家
1983年生まれ、兵庫県相生市出身。歴史学者、作家、評論家。姫路日ノ本短期大学・姫路獨協大学講師・大阪観光大学観光学研究所客員研究員を経て、現在は武蔵野学院大学日本総合研究所スペシャルアカデミックフェロー、日本文藝家協会会員。著書に『播磨赤松一族』(新人物往来社)、『超口語訳 方丈記』(彩図社文庫)、『日本人はこうして戦争をしてきた』(青林堂)、『昔とはここまで違う!歴史教科書の新常識』(彩図社)など。近著は『北条義時 鎌倉幕府を乗っ取った武将の真実』(星海社新書)。
