32歳の若さで亡くなった父の存在
中川の育った家は、基本的に母と祖母と彼女の3人暮らしで、父はときどき遊びに来るという感じだったようだ。その父が1992年、急性骨髄性白血病を発症する。そのころ、久々に家に来ていた父は、絵本を描くと言って、ベッドに絵の具を散らばせながら不思議な絵を描いていたという。《その海と空の青がすごく美しくて。「しょうこも手伝ってごらん」と言われて一緒に絵本を作ったことは、忘れられません》と彼女は後年振り返る(『週刊朝日』2018年6月22日号)。
その2年後の誕生日、中川は病床の父からバースデーカードを贈られた。すでに手にほとんど力が入らなかったのだろう、弱々しく震えた文字で書いた「明るい元気な優しい子で、いいぞいいぞ」とのメッセージとあわせ、たくさんのハートで描かれた猫の絵にきれいに色が塗られていたという。それから半年もしないうちに父は32歳の若さで亡くなった。まだ幼かった彼女にはあまりにショックが大きく、自然と父の死と向き合わない生活をするようになっていったという(『週刊現代』2008年4月5日号)。
インターネットの掲示板で父の悪い噂を鵜呑みにして
中学に進んでから、普及しつつあったインターネットにハマった中川は、掲示板で父の女性がらみの悪い噂に接し、鵜呑みにしてしまう。ショックで人が信じられなくなり、残っていた父の写真やバースデーカードを衝動的に捨てたり、母にもつらく当たってしまった。問い詰めても「そんなのしょうがないじゃない」と言うばかりの母に納得いかなかったからだが、ずっとあとになって本当につらかったのは母のほうだと気づいたという。
中学時代は父のこと以外にも、学校でいじめられてつらい日々を送っていた。クラス内にはスクールカーストが厳然と存在し、カースト上位の生徒から悪口、陰口、物理的に目に見えるいやがらせを受けた。修学旅行中、宿泊先の旅館で友達とお互いに描いた絵を交換していると、クラスメイトから「絵なんか描いてんじゃねーよ! キモいんだよ!」と暴言を吐かれたこともあったという。
中学3年の終わりがけ、中川は雑誌のモデルのオーディションに応募してグランプリを受賞したが、《でも載った翌日には「あいつ気持ち悪いオタクのくせに出てるんだけど」って噂になってイジメられて》とのちに明かしている(『週刊文春』2009年10月15日号)。


