“趣味・読書とお菓子作り”“ウエスト・58cm”に追い詰められ……
大手事務所に所属すれば、仕事も増えそうなものだが、試練はここからだった。いざグラビアに出てみると、本人いわく自分は「胸もないわ、足も短いわで」憧れのアイドルとはまったく違うと気づき、落ち込んだ。テレビで面白いことを言おうとしても空回りしてばかり。趣味も仕事になかなか反映できず、もどかしさを覚える。
《趣味があるからなんとか生きながらえてきたのに、タレント活動の中ではそれもうまく表に出せなくて、自分の好きなこともどんどん見失う毎日で。なりきろうと思って、プロフィールに“趣味・読書とお菓子作り”“ウエスト・58cm”って、「グラビアアイドル的鉄板」を書いていたんですけど、逆にどんどん追い詰められてしまって…》(『anan』2011年2月16日号)
すっかり心がすり減り、もう芸能界を辞めようと思った矢先、救いの神が現れる。たまたま代打で出演したテレビのロケで、憧れの人である楳図かずおと会ったのだ。しかもロケ終了後には、楳図から別れ際「またね」と言われた。その何気ない言葉がどん底にあった中川の心には響いた。「芸能界を辞めないでいれば、またいつか会えるかもしれない」と、その後も仕事を続ける気になれたという。
「ほぼ遺言みたいな気持ち」で始めたブログが転機に
この時期のもう一つの転機であるブログを開設したのは、楳図と会ったあとだった。せめて何か息抜きできる場所がないとだめだと思い、マネージャーに頼んだのである。それが2003年のこと。当時はまだブログという概念は浸透しておらず、ホームページをつくらせてもらい、写メール(という言葉も懐かしいが)で日記の投稿を始めた。悲しいことやつらいことを書くとあとあとまで残ってしまうので、あくまで自分の好きな小説やアニメのこと、描いたイラスト、コスプレの写真など、趣味に関することのみ載せるようにした。
当初は「しょこたん☆にっき」というタイトルで始めたが、翌2004年にヤプログ!に移行するにともない「しょこたん♥ぶろぐ」と改めた。
のちに当時を振り返って《書き始めた時は、ほぼ遺言みたいな気持ちでした。でも書いていると、今までの人生を振り返ったり、自分の心とじっくり向き合うことになって、だんだんそれが楽しくなってきたんですね。同時に、夢や目標が、すごく明確に見えてきた》と語る(『anan』2013年11月27日号)。
仕事をオファーする側にも、中川のキャラクターがわかってきたのだろう、やがてブログを見たと言って、イラストの執筆やアニメの声優などさまざまな仕事が舞い込んでくるようになる。筆者が初めて中川の存在を知ったのも、20年ほど前、彼女がある深夜の大喜利的番組にレギュラー出演し、楳図かずおばりのインパクトあるイラストを披露していたことだったのを思い出す。
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