清田が山川一家の2代目総長に就任したのは1992年のこと。その後、2006年に稲川会のナンバー2である理事長に、そして2010年に稲川会の5代目会長となった。
その後を追いかけるように内堀は2008年に山川一家総長に就任し、2019年に清田の後継として稲川会の6代目会長に就いた。
「内堀はその後、金融の知識を生かして経済ヤクザと言われるようになっていった。いまや稲川会全体の運営を仕切っているだけでなく、6代目山口組やその他の組織との外交関係でも重要な役割を果たす大物中の大物」
「話をする際には相手に近づいて抱きつくようにして…」
清田は後年喉頭がんを患い、のどの声帯を切除する手術を受けたという。
「発声がうまくできないため、話をする際には相手に近づいて抱きつくようにして耳元で言葉を伝える。事情を知らない人からすると、親愛の情を示すようにも見えたのではないか」
2019年に会長職を退き総裁というポストについた清田だが、稲川会において総裁というポストには特別な意味があるという。
「稲川会で総裁というと角二のイメージそのもの」(前出マル暴刑事)
角二とは、稲川会創設者の稲川角二のことで、暴力団業界では「稲川聖城」と名乗っていた。山口組を神戸の地方組織から全国組織に育て上げた3代目組長・田岡一雄が神格化されているように、稲川会における角二のカリスマは現在も健在だ。
「角二は石井進に稲川会の会長職を譲った後も、総裁として事実上組織の運営を握り続けていた。総裁というとほかの組織では引退した後見人というイメージだが、稲川会においてはまったく意味が違う。角二の死去後、総裁という立場の人物はいなかった。清田の存在は稲川会にとってそれほど大きかった」
清田が総裁というポストに就いた背景には、山口組の存在があると推測してみせた。
「稲川会で清田が総裁ポストに就いたのは、山口組との関係のためだった可能性も高い。内堀は山口組の現若頭・竹内と五分の兄弟分だが、内堀が稲川会の会長に就任した時、竹内はまだ山口組の若頭補佐で司、高山に次ぐナンバー3だった。稲川会トップの内堀と、山口組ナンバー3の竹内が兄弟ではバランスが悪いので、司や高山と同格の清田が総裁として残ったのではないか」
今年に入り、山口組では高山が相談役として一線を引き、竹内が若頭に就任した。竹内は山口組の7代目を継ぐと見られており、そうなれば清田と竹内でトップ同士が兄弟分という状態になる。
ただ現役の捜査員たちにとって清田は接触すら出来ない存在だったようだ。
「現在の稲川会は会長の内堀がすべてを仕切っているので、清田は『ご隠居』くらいの立場とみていた。内堀をはじめとした今の幹部にお任せで『よきに計らえ』の、おじいちゃんのイメージ」(若手刑事)
体調的にも、清田が稲川会の運営に直接影響を与えることはほとんどなかったと見られている。それでも格が物を言う暴力団の世界で、清田という大看板の存在は大きかった。その死は稲川会のどのような影響を及ぼすのだろうか。

