自分のせいで恋人や親が死んだ、という子のなかには、「自分はひどい目に遭って当然だからこの稼業も好きだ、ありがたい、って言いだすのもいたよ。自分なんて早く死んじまえばいいんだって、いってたね」とのことだった。蔦重のなかで、いねの説明が男娼に甘んじている捨吉と重なったのだ。
だが、捨吉の境遇がわかる前に、戯作者の朋誠堂喜三二の場面がはさまれた。松葉屋の花魁、松の井(久保田紗友)と床にいて夢を見るのだが、「好色の気」によって生み出された大蛇が暴れた挙句、最後はいねが刀で大蛇の頭を切り落とす、という内容なのだ。大蛇が喜三二の「筆」にたとえられているのはいうまでもない。
その後、蔦重が捨吉を訪ねると、「荒いのが好きな客がいて」(捨吉)気を失っていた。その後、捨吉のこれまでが明らかになったが、やはり捨吉は、いねが語ったように「罰を受けたい子」だった。
「息子さん、近ごろ、お加減は?」
捨吉の母親は夜鷹、つまり地面にむしろを敷いて商売した街娼で、捨吉も7歳から客をとらされていた。小児性愛の客の相手をさせられたということだろう。その後、大火の際に母親の道連れにされそうになって逃げ、続いて、母親のヒモだった男に見つかり、川に突き落として死なせてしまっていた。
そのことに罪の意識をいだいた捨吉は、自分は「さっさとこの世から消えちまったほうがいいんだ」と思っていた。「罰を受けたい子」だから、いまなお男娼を続けていたのだ。
その後も「性に関する表現」は続いた。
吉原で連泊を続けながら執筆している喜三二が書き上げた『見徳一炊夢』を読んだ蔦重は、「どうやったらこんな、ふざけた話を思いつくんです?」と聞いた。喜三二は「まあ、ひと言でいやあ息子のお陰かねえ」と、自分の股間のほうに目を向けていった。蔦重が「息子さん、近ごろ、お加減は?」と聞き返すと、「それがよ、近ごろめっきりやんちゃになっちまって、とんだ放蕩息子だぜ!」。