さらには、将軍徳川家治(眞島秀和)までが、田沼意次(渡辺謙)の前であくびをし、「お鶴と夜更かしをしてしまってな」と語った。田沼は「お励みのこと、なによりにございます」と返すのだった。
「性に関する表現」の意味
実際、最初から最後まで「性に関する表現」のオンパレードで、「これまでの大河にない攻めた表現」だとして、話題を呼んでいる。しかし、吉原という遊廓、すなわち女性が男性に性的なサービスを提供する場所を舞台にしたドラマである以上、避けて通れない表現、いや、避けてはいけない表現なのではないだろうか。
そう考える理由を説明するためにも、今回の「性に関する表現」の意味について、確認しておきたい。
まず、朋誠堂喜三二が「腎虚」になったという話だが、喜三二は「居続け」、つまり妓楼(女郎屋)に連泊し、連日性行為に励んだ結果、EDになってしまったということだ。性行為は男性にとっては、楽しみの一種だっただろうが、女郎の側に立てば、日々きわめて過酷な生活を強いられているということだった。
親の借金の担保として、まだ子供のころに妓楼に売られ、17歳から27歳の10年間は、客に身請けでもされないかぎり、連日、不特定の男性相手に性行為をしなければならなかったのだ。だから、いみじくもドラマでいねが、「女は早死にする、地獄商いっていわれんじゃないか」と語った状況が、吉原にはあった。
そば一杯分の値段で身体を売る
往年の歴史学者、西山松之助の著書『くるわ』には、投げ込み寺として知られた浄閑寺に遺体が運ばれた女郎の享年は、過去帳の記録から平均22.7歳だった、記されている。生き延びた女郎もいたにせよ、女性が命を賭して、性的サービスに励まなければならない場が吉原だったのはまちがいない。
無難な表現に徹し、吉原の華やかな面にだけ焦点を当てるのでは、吉原を描いたことにも、蔦重の時代を描いたことにもならない。喜三二の「筆」や「息子」「腎虚」、そして大蛇の首が斬り落とされる夢は、吉原の女性たちの過酷な現実を、男性をとおして映し出す絶妙な描き方だったと思う。