なぜ私は歌舞伎町に住んでいるのか?
歌舞伎町に住んだのは取材が目的だった。ただ、『ルポ歌舞伎町』(彩図社)という本を出し、取材も一段落した。まだなんとなく街を気にかけてはいるものの、取材当時ほどの熱はもう持っていない。では、なぜ私はこの街に住んでいるのか。在住五年目にさしかかったあたりから漠然と考え始めるようになった。
家賃は月収の三分の一まで。住む場所は職場からなるべく近いほうがいい。洪水や地震など自然災害のリスクは低いか。最寄り駅から徒歩五分以内か……。住む物件を探すとき、お決まりの観点はいくつかあるが、みんなは自分が住む街をどうやって決めているだろう。その街にはいつまで住むつもりだろう。その街に一生住もうという気概はあるだろうか。
ルポライターという職業に就いている私は、これまで意識的にいろんな街に赴いてきた。ときにはその街のことを知るために長期滞在したり、実際に住んだりすることもあった。その街を列挙してみる。
東京都練馬区、栃木県那須町、埼玉県さいたま市、茨城県つくば市、八丈島、中野坂上、香港、中国、ベトナム、ラオス、タイ、インド、ネパール、モンゴル、上野、大阪市西成区あいりん地区、歌舞伎町、横浜市中区寿町。一時期ホームレス生活をしていたこともあるので、都内各地の路上や河川敷にも住んでいたことがある。
「國やん、覚醒剤だけはやったらあかんで」
なんだか一貫性のない並びだが、こうやって思い返すと私はそれぞれの街で多大なる影響を受けていることに気付く。たとえば大阪市西成区あいりん地区では、周りの人々があまりにも当たり前のように覚醒剤を嗜んでいるので私も「やってみよっかな♪」と考えていたところ、前科九犯の重度のシャブ中が「國やん(筆者のこと)、覚醒剤だけはやったらあかんで」と激怒。以降、「何があっても覚醒剤だけはやらない」が私の人生の指針になった。
人は食べたものでできていると言うけれど、私は、自分が住んだ街で出会った「突飛な変わった人」によってできている。この本には、私が各地で出会った「突飛な変わった人」が私の人生観が変わる重要なポイントで出現しまくる。すでにこのまえがきで二人登場してしまったが、そんな彼らの一挙手一投足が、読者のみなさんが住む街を選ぶ際の手助けになれば私も彼らも報われる。

