「和泉中央」の“ニュータウン前夜”に何がある?

 この一帯はいわゆる泉北丘陵といい、大阪府和泉市の中央部にあたる。同じ和泉市でも古くからの市街地は平野部のJR阪和線和泉府中駅周辺だ。

 

 その名から推察できるように、古代には和泉国の国府が置かれていた一帯の中心も中心。さらに泉北丘陵から東に入った山の裾には和泉国分寺が置かれていた。

 二つの地域の要に挟まれた丘陵地という背景から、泉北丘陵上にも古い時代から集落が発展していたことも間違いないようだ。

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 そうした古い集落は丘陵の上というよりは、丘陵を削って流れる松尾川や槇尾川といった小河川の造った河谷沿い。和泉中央駅付近では、松尾谷や池田谷といったエリアがそれにあたる。

 いまもそうした町はニュータウンとは明らかに一線を画す風景を保っている。

 駅前から坂道を下って北に行けば「万町」と呼ばれる池田谷の一角。奥には槇尾川が流れているのが見えて、昔ながらの民家や細い路地、その合間には畑もあったりという、かつての泉北丘陵の里山風景を想像させる町が残っていた。

 

 そうした里山世界の中で、この地域では和泉木綿で知られる綿花の栽培、また和泉みかんとして名を馳せたみかんの栽培が盛んだったという。

 

 綿花栽培は和泉一帯での繊維業の隆盛をもたらした。みかんはみかんで、かつては和歌山県に次ぐ全国2位の生産量を誇った大阪府。その大部分を生産していたのが和泉の丘陵だったのだ。