里山にやってきた高度経済成長期

 ただ、大阪という大都市から近いこの場所がいつまでも里山風景のままでいられるほど、戦後の経済成長の波は低くなかった。

 少しずつ丘陵上の開発がはじまり、1960年代にはいまのトリヴェール和泉の一部に「婦人子供服団地」なるものが現れている。これは繊維業が盛んだったところから来ているのだろうか。

 そして千里ニュータウンとそれほど変わらない時期に泉北ニュータウンの開発も始まった。

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 泉北ニュータウンは和泉市の北、堺市側のニュータウン。そういう順序を辿ってくれば、和泉中央駅付近の丘陵がニュータウンに生まれ変わるのも時間の問題だ。

 1970年代から少しずつ計画が動き出し、1980年代半ばから開発が本格化して現在に至っている。

 こうして生まれた和泉中央のニュータウン。主な交通手段は、南海電車泉北線だ。

 泉北線のルーツは1971年に中百舌鳥~泉ケ丘間で開業した泉北高速鉄道線。もちろん泉北ニュータウンの開発に伴って建設された通勤路線で、1977年には光明池駅まで延伸している。

 ただ、その後しばらくは光明池駅が終点の状態が続き、和泉中央駅まで延伸したのは1995年のことだ。それだけ和泉中央駅周辺のニュータウンが“新しい”ということでもある。

 言うなれば、千里中央の北大阪急行にあっては2024年春に延伸した箕面萱野駅の先輩筋が和泉中央駅、といったところだろうか。