2025年4月中旬、新宿歌舞伎町の最深部に位置する「大久保公園」界隈にはその日も、昼から数名の街娼(立ちんぼ)が客待ちしていた。
夕方過ぎ、隣接するラブホテル街へと範囲を広げる形で人数は増える。偶然、しばしの交渉後に連れ立って歩きだす若い女性と中年の外国人男性を目撃した。ふたりはラブホテル内へと消えていく。
ここにもインバウンドの流れがあるようだ。街娼歴5年の30代女性はその背景について、「テレビとかで“交縁”が有名になっちゃった。だから最近は(警察による)取締りがキツいんだよね。外国人だと警察官の可能性は低いから安心なんじゃないかな」と話した。
同地での売買春は「交縁」と呼ばれている。公園で交渉――その公と交をかけて、さらに女性と「縁を結ぶ」という意味だ。
こうして新語まで生まれているように、いまや売買春の“聖地”と化している「大久保公園」界隈はどのような道のりを辿ってきたのか。ルーツを調べた。
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大勢の人間が1つの場所に集まるには核になるもの、すなわちハブが必要だ。
調査を始めた当初は、江戸時代に吉原などと違い非公認の街娼が集まる“岡場所”だった内藤新宿――いまの新宿1・2丁目であると見ていた。この地の街娼たちが何らかの理由で移動した果てに大久保公園付近にたどり着いたのでは、と。それは、大久保公園からほどよい距離に内藤新宿があることも後押しした。
「暗ヤミの中は、売春婦のたむろする、夜ひらく戦場でもあった」
さらに明治通り・新宿交差点より東へ60mほど歩いた、いまも複数のビジネスホテル――簡易宿泊所が現存する新宿4丁目あたりは、1947年までは『旭町』、その前は『南町』と呼ばれるドヤ街で、戦後の混乱期には「旭町のドヤ街を寝ぐらとする街娼たちがたくさんいた」という記述も散見される。
旭町がいかに街娼が多かったか=私娼窟であったかを『新東京百景』(冨田英三・スポーツニッポン新聞社出版局)から引用する。
〈旧旭町界隈は、昔流にいう木賃宿街、ヨコ文字でいうベッドハウス街であり、そこいらの街の暗ヤミの中は、売春婦のたむろする、夜ひらく戦場でもあった〉
ここから見て取れるのは、街娼たちがドヤ街の路上に立ち、声をかけてきた男たちと交渉しつつ、安価な連れ込み宿(いまでいうレンタルルームに近い形態)に引っ張り込んでいた構図である。首尾よく客が付けばいいが、うまく仕事にありつけない場合は場所を変えてキャッチに励んだ女性もいたに違いない。

