
時計王国スイスにおける時計産業の歴史は16世紀にさかのぼる。ジュネーヴで宗教改革を推進したフランスのジャン・カルヴァンは華美なものを排除し、装飾・宝飾品を身につけることを制限した。そのため、当時すでにジュネーヴで活躍していた宝飾工芸職人や金細工・七宝装飾職人は、精緻な匠の技を生かせる時計製造に軸足を移さざるをえなくなった。
また、宗教戦争の影響でフランスからジュネーヴに逃れてきたユグノー(カルヴァン派の新教徒)たちにも優れた時計製造職人が多かった。販売・流通ネットワークが整っていたこともあり、ジュネーヴで新たな“時計産業”が発展した。当時は懐中時計や置き時計の製造販売が中心。1601年にはジュネーヴで世界初の時計職人ギルド(組合)が設立されている。

時計産業の隆盛にともない、時計の製造拠点は、ジュネーヴの北~北東に位置するジュラ山脈(考古学の「ジュラ紀」でその名を知られる)のふもとへと広がっていく。時計や部品の製造は、手先が器用で勤勉な農民の農閑期や冬の副業でもあった。名門時計メゾンの本社の大半が、ジュネーヴおよびジュラ山脈沿いの町に今もあるゆえんである。

Musee international d'horlogerie / Aline Henchoz

Switzerland Tourism / Andre Meier
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時計の姿勢差によって生じる時間の誤差を補正する「トゥールビヨン」、ゴングをハンマーでたたく音で時間を知らせる「ミニッツリピーター」、カレンダー修正の手間が少ない「永久カレンダー」、自動巻き、瞬時に針が戻る「フライバック・クロノグラフ」などの複雑な機構が次々と発明され、のちに腕時計にも応用されて、スイスは時計製造における唯一無二の地位を確立していった。ちなみに電子式腕時計やクォーツ腕時計もスイス発祥である。
なお、ジュネーヴ近郊が寒冷で湿度が低く部品が錆びにくい気候であり、きれいな空気と部品洗浄に適した豊富な水があったこと。近代化以降は、水力発電による電力が得られ、軍事用時計・機器の発注がしやすい「永世中立国」という立場であったことも時計産業の成長に寄与したとされる。


ファッションや腕時計・宝飾品などの高級消費財は、“見本市”が重要な商取引の場である。スイスでは1972年からの「バーゼルフェア/バーゼルワールド」、1991年からの「SIHH=国際高級時計サロン(通称ジュネーヴサロン)」の二つの時計見本市が長く開催されたが、コロナ禍などで中止に。その流れをくむ現在世界最大級の時計見本市が「ウォッチズ アンド ワンダーズ ジュネーヴ」だ。オンライン開催が2020年から始まり、22年から旧ジュネーヴサロン同様に空港隣接の「パレクスポ」で毎年春に開催されている。



25年の参加ブランド/メゾンは60。それぞれの世界観を、趣向をこらしたブース展示や美しいビジュアルで表現し、新作の発表・受注やブランディング、マーケティング、取材対応を行う。リテーラー(販売関係者)やプレス(報道関係者)に加え一般入場者も有料で招き入れており、25年の総来場者は4月1~7日の7日間で5万5000人以上にのぼった。


また、ジュネーヴの町中では期間中に「イン ザ シティ」と銘打ったイベントやコンサート、ガイドツアーなどを実施。自治体と企業が一体となって、来場者・観光客に“時計の町ジュネーヴ”をアピールしている。開催期間のジュネーヴはさながら、世界中から時計産業の関係者や愛好家が集う “世界最大級の時計の祭典”である。
Text/Photo: Ken Sudo Photo: T-MAX Mitsuya Sada, Watches and Wonders Geneva Foundation
資料・地図提供=スイス政府観光局
