ロシアのウクライナ侵攻が始まったのは2022年2月。その2ヶ月ほど前に、ヨーロッパの大国・ドイツの首相を4期16年にわたって務めたアンゲラ・メルケルが政界を引退している。

 科学者出身の女性宰相として、在任中はロシアのプーチン大統領、中国の習近平主席、そして第一次政権時代のトランプ大統領といった厄介かつ強権的な指導者と渡り合ったメルケル氏は、2014年のロシアのクリミア半島侵攻に際しては、戦火を一日でも早く終わらせるために精力的に動いたことでも知られている。もしもメルケルが首相を続けていたら、今ある世界の混乱のかたちは変わっていたかもしれない―――。

 この5月に久々の来日を果たすメルケル。その素顔に迫った決定的評伝『メルケル 世界一の宰相』(カティ・マートン著、文藝春秋刊)から、“宿敵”だったロシアのプーチン大統領、そして第一次政権時代のトランプ大統領とのエピソードを再構成して紹介する。

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「第一の宿敵」はロシアの冷酷な独裁者

『メルケル  世界一の宰相』

「女性」「東独出身」「理系出身」という“三重の枷”を乗り越え首相に就任し、ドイツを欧州トップ国に導いてきたメルケルにとって、宿敵とも言うべき存在が、ロシア大統領のプーチンである。冷酷な独裁者であるプーチンと、西側世界の民主主義を守るメルケルとでは、そもそもの価値観が真逆で相容れないからだ。

 じつはメルケルは、東独での少女時代にロシア語弁論大会で優勝もしており、ロシア社会や文化への造詣が深い。だからこそ、プーチンの本質を早い段階で見抜き、危惧していた。プーチンが手本にしているのは、かつての独裁者スターリンなのではないのか、と。

 一方のプーチンは、メルケルが首相になって間もない頃、「ミセス・メルケルはロシアに多大な関心を寄せている。そして、ロシア語を話す!」と誇らしげに語っていた。

 しかし、その好印象は長く続かなかった。メルケルが人権問題に関心を寄せていると知ると、警戒心を抱くようになる。そしてKGBの元諜報部員らしく、メルケルの弱点を調べはじめた。“メルケルいじめ”を仕掛けるためだ。