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寛は登喜子を警戒して、本当はやなせを東京に行かせたくなかったらしいが、結局、実の母と子を引き離すことはできなかった。
やなせの秘書だった越尾正子による回想録『やなせたかし先生のしっぽ』(小学館)によると、もともとは登喜子が幼いやなせを捨てるようにして寛夫妻に預けたという経緯があるのに、この頃、寛は登喜子にやなせの下宿代を支払っていたという。このエピソードからも、寛の「お人好し」な面がうかがえる。
甥っ子たちを家に縛りつけず、自由に生きさせた
自身は家父長制の中できちんと責任を果たしつつも、甥の2人は家に縛りつけず、好きなことをさせる。毒親とは正反対のリベラルで、優しすぎる人だったのかもしれない。やなせも「田舎の開業医として激務に耐え」「五十歳の若さで天国に行ってしまったのです」と書いている(『人生なんて夢だけど』)。
自分を犠牲にしても他人のために尽くそうとした姿には、おなかがすいている人に自分の顔を食べさせるアンパンマンのイメージを重ねることもできる。
「あんぱん」では、寛が将来に悩む嵩に向かって「なんのためにこの世に生まれて、何をしながら生きるか」という、アニメ主題歌「アンパンマンのマーチ」の哲学的な歌詞(やなせたかし作詞)に通じる言葉をかけた。今後も、寛は嵩の心に大きな影響を与えた人物として、その存在は物語の中で生き続けていくだろう。
村瀬 まりも(むらせ・まりも)
ライター
1995年、出版社に入社し、アイドル誌の編集部などで働く。フリーランスになってからも別名で芸能人のインタビューを多数手がけ、アイドル・俳優の写真集なども担当している。「リアルサウンド映画部」などに寄稿。
ライター
1995年、出版社に入社し、アイドル誌の編集部などで働く。フリーランスになってからも別名で芸能人のインタビューを多数手がけ、アイドル・俳優の写真集なども担当している。「リアルサウンド映画部」などに寄稿。
