今でも覚えている、夜中にケイコ先生と食べた肉まんの味
坂本ちゃん 34歳でした。わたくし『電波少年』の放送内容を全く覚えていなくて。終わってからもほとんど放送を見ていないですし。合格発表の回が今でもYouTubeにアップされてるので、それを見てる程度。
ただ、受験当日の数カ月ぶりに外に出た空気の感じは、不思議と覚えているんです。突然連れ去られて、初めて勉強部屋に入ったときの、新しい畳のいぐさの匂いとか。そういう感覚は思い出せます。
外に出られないルールも本当にガチだったんですけど……途中で一度、ストレスが溜まってたのかしら、夜中にケイコ先生(現・春野恵子)とこっそり抜け出したんです。そのとき、ケイコ先生が小銭を持っていて、肉まんを2つ買ってくださって。近くの中学校の壁際で2人で食べた肉まんの味とか、そのとき吹いていた秋風の感じとかは覚えてますね。
部屋に戻って、朝方「昨日楽しかったね。また抜け出そう」って言ったら後ろにスタッフの人がいて、バレて散々怒られました。そういう思い出はあるんですけど、それ以外のことはほとんど覚えてないんです。
ただただ勉強してただけなのに…「何で知ってくださってるの?」
――ひたすら勉強してたから。
坂本ちゃん そう、ただただ勉強していただけ。連れ去られた当初『電波少年』だってわかって「すごいチャンスだ!」と思ったんですけど、受験モノと聞いて……。ほら、『電波少年』には旅モノがあったじゃないですか、猿岩石さんやドロンズさんやRマニアさんの。ああいうのに比べちゃうと、インパクトが弱くて話題にならないんじゃないかしらって不安になって。だから最初の頃は何かカメラの前でアピールしなきゃ、みたいな気持ちがあったんですけど。
でも結局、勉強するしかなく、集中し始めたら、本当に日々ひたすら勉強。当時はVHSのテープを自分たちで2時間ごとに入れ替えて、隣の部屋にスタッフがいて、そのテープを回収に来るだけ、みたいな。
とはいえ、考えてみればスタッフの方がハードですよね。回収したビデオを延々と見て、面白いことをチョイスして編集して。だから感動仕立てに仕上げられててビックリしました。わたくしたちは勉強してただけなのに、みなさん「よく頑張ったな」とか「感動した」っておっしゃってくださる。それもみんなスタッフの人のおかげだって、全てが終わってから知りました。
――ご本人たちは放送を見られないんですね。
坂本ちゃん 見てないんです。だから「何でみなさん、わたくしのことを知ってくださってるの?」って感じでしたね。
そして『電波少年』の後もすぐお仕事をいただきまして。それが自分でも見ていたキー局のイチオシの番組とか、ゴールデンに放送される番組ばっかり。司会者のかたも「芸能人」で内心「キャー!」と思ってたけど、あまりミーハーな感じは出してはいけない、と自分を抑えて。楽屋の入り口に自分の名前が貼ってあるし、いちいち刺激的な感じでしたね。