――上京するために東京にある大学を目指そう、みたいな気持ちは?
坂本ちゃん どうでしょう。何も考えてなかったんじゃないかしら。
――まだ芸能界に入る道を具体的には考えてなかったんですね。
坂本ちゃん わたくしの場合、子どもの頃から、想像・空想ばかりの日々でしたから。
学校から帰るといろんな想像を広げてました。アパートの外にある洗濯機がぐるぐる回るのをずーっと見ながら空想してるような子……今思うとちょっと病んでたな、みたいにも思いますけど。
一方で兄と弟は学校から帰ると、すぐ元気に遊びに出かけてましたね。わたくしは1人、ずーっと脳内で「ベストテンごっこ」とか「レコード大賞新人賞ごっこ」。学校の帰りも道々「今年の新人賞は坂本恭章(坂本ちゃんの本名)さんです!」みたいな想像を。
――友だちや兄弟とかとごっこ遊びをするわけでもなく。
坂本ちゃん 1人でした。
――声も出さず。
坂本ちゃん 頭の中だけで。ですから、親には何か得体の知れない子ども、みたいに思われちゃったんでしょうね。
でも、そうやって心のバランスを取っていたんじゃないんですかね。わたくし小学校5年で、東京の吉祥寺から山梨県に引っ越しをしたんです。東京にいた頃はそれでも友だちが1人か2人はいたんですけど、山梨に行きましたら、クラスも少なくて、みんな休み時間は校庭に出てサッカーをしているような子ばかり。東京時代にいた読書するようなタイプの子とか1人もいなくて。だからますます孤立してしまったんです。
窓から空を見上げ「あの雲に乗って東京に帰りたい」
――坂本ちゃんには東京が合ってたんですね。
坂本ちゃん 合ってたんですよ。東京には図書館に入り浸る子とか、運動が苦手な子とか、いろんなバリエーションの子がいたけれど田舎にはいない。「サッカーしよう」って誘われるんですけど、わたくし運動が全くダメで。
――運動オンチ仲間が1人もいないんですね。それはつらい。
坂本ちゃん 山梨にいた頃は、休み時間になると教室のはずれの窓から外を見ながら「この山を超えれば東京帰れるのに」「あの雲に乗って東京に帰りたい」なんて思ってました。一方で、兄や弟は山梨に馴染み、友だちも増え……。
――それは、なおさら引いちゃいますね。
坂本ちゃん 兄弟は1~2歳違いの年子だったし。わたくし劣等感の塊というか、自分に自信がないまま、ますます空想の世界に逃げ込んでしまって。今では、まわりにアピールしなかった自分のせいだって思うところはあるんですけどね。
――健康体ではあったんですか。
坂本ちゃん 中学のときに盲腸の手術をしたくらいで、ほかに特に病気になったりはせず。それは感謝ですね。
写真=深野未季/文藝春秋

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