実は『電波少年』前から運は向いていた

――『電波少年』以外もオーディションを受けたことはあったんですか?

坂本ちゃん すごく生意気発言なんですけど、あまりなく。

――そうすると、芸能界でよく聞く「オーディションに落ち続けて悩んで……」という時期はない?

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坂本ちゃん はい。今の事務所に25年前に入所して1年くらいで『電波少年』が決まったので、それまで受けたオーディションも数回程度。それも合格してまして『電波少年』以前にもちょこちょこテレビに出させてもらってました。

 自分たちは「アルカリ三世」ってコンビで事務所に入れていただいて、当初オーディションを振っていただいたら「受からなくても、今後のために何かしらモノにしないと次はない!」「オーディションはアピールの場だ!」と熱く思ってました。

©︎文藝春秋

――受けたのはどんな番組のオーディションだったんですか?

坂本ちゃん わたくしのデビューがMXテレビの音楽番組。広辞苑のかぶりものをして出てました。ブレイク前の平井堅さんが新人として出ていらっしゃったのを覚えてます。その後テレビ東京の番組に出させていただいて、その後すぐに『電波少年』。

――事務所に入る前、劇団のオーディションにはなかなか受からなかったそうですが。

坂本ちゃん そうなの。わたくし東京に出てきて俳優になりたくて、第二の豊川悦司さんを目指していたんです。小劇場で観たお芝居の募集チラシとか見てオーディションに行くんですけど、必ず落ちまして。途中で気づくわけですね「わたくし、演技できないんだ」って。正統派の俳優を目指していたんですけれど。

――憧れの豊川悦司さんがいらした劇団3〇〇(さんじゅうまる)とか?

坂本ちゃん そういう大きいところは受けてなくて、小劇団ばかり。「徐々に這い上がっていこう!」みたいに思ってましたね。当時、中野区野方の安アパートに住み、夜は大ファンの「たま」の音楽を聴きながら6畳1間で過ごして。ですから芸能の仕事で「たま」のメンバーにお会いできたときは嬉しかったですね。

キラキラした世界に憧れ、空想していた孤独な子ども時代

――アイドルも好きだし「たま」もお好きなんですね。

坂本ちゃん キラキラした場所が憧れだったんです。「たま」は何となくテイストが自分寄りで好きでした。歌詞が「窓の外はキューピー敷き詰められた野原」とか感性もすごいし、わかりやすいビジュアルのイメージが先行していたかもしれないけど、音楽性がすごく高いでしょう。

 アイドルも好きでした! わたくし子どもの頃は本当に友だちがいなかったので「芸能界に入れば、クラスメイトも家族も振り向いてくれるかも」という思いからスタートしているんです。

――10代の頃、親しい友だちはできなかった?

坂本ちゃん そうですね。学校の遠足や修学旅行で「じゃあ班を作りましょう」ってなると、人数合わせで割り当てられちゃうような。そんな人でしたね。

――友だちと歌番組の話で盛り上がるとか、芸能人の話をすることもなく?

坂本ちゃん ありません。毎日が地味すぎて、ますますテレビとか芸能の世界に憧れが募っていきました。やがて大学の付属高校を卒業するんですけど、内部試験もダメで浪人のテイで引きこもってましたね。