“『電波少年』の坂本ちゃん”と呼ばれて

――『電波少年』で売れっ子になってからも、いろいろ苦労されたとか。

坂本ちゃん 売れっ子生活は突然始まったんです。『電波少年』出身の方って、突然仕事が始まって突然世間に知られて、その後何の引き出しもなくて困惑しながらいろんな仕事をして……という感じになるんですよね。自分もまさにそうで。運だけ来てしまったような。

――坂本ちゃんは独特のキャラクターでいらっしゃるし、運だけではないでしょう。

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坂本ちゃん あ、そうなんですよ!(笑)。でも「運も実力のうち」っていうように、最終的に運が強くないと、どのような場所でも先に進めないじゃないですか。まあ、今は健康になって自分に自信が持てたので、自分をあまり否定しなくなりましたね。

――健康になったことで考え方にも変化があったんですね。

坂本ちゃん そうなんです。子どもの頃から憧れている芸能の世界へ導いてくれた『電波少年』には感謝してて……ただ、必ず“『電波少年』の坂本ちゃん”って言われるのはもうちょっと、と思っていた時期もあって。でも今はひと回りもふた回りもして、感謝してます。だから聞かれたら当時の話もしますよ。

 とはいえ、25年も前のことなので、当時の記憶がちょっとぼんやりしてて。何しろ、突然始まった日々ですから。

――売れている実感がないのに、キャーキャー騒がれたりすることもあったりして。

坂本ちゃん 次から次へと仕事があるのが、不思議な気持ちでしたね。CDまで出させていただいて。高石ともやさんのカバー曲で『受験生ブルース』という歌を、なんとキティレコードから! 子どもの頃からアイドル好きで、歌手にも憧れていたので、当時も感激したんですけど、今思うとあまりにもすごいことじゃないですか。

 でもあの頃は次から次へと初めての経験ばかり。呼ばれる番組も大きい番組だし、海外ロケもあって。テレビで見ていたいろんな芸能人の方にお会いできたりして、緊張の日々でした。

受験後も「外出するときはカツラをかぶってください」

――『電波少年』への出演は2000年ですね。

坂本ちゃん 2000年の7月からスタートして、翌年4月に合格発表の特番が放送されました。2月の私大のテストが終わるまで連続で収録していたから、正味6カ月くらい。

 それから合格発表特番の4月まで期間があいたんですけど、結局、あの勉強部屋で過ごさせていただきました。あの勉強部屋の方が、お風呂はあるし冷暖房もあるし、設備が整っていたので。「外出するときはバレないようにカツラをかぶってくださいね」って。

――受験票もカツラ姿でしたね。当時30代でしたか。