「サリンの可能性が高い」。11時、捜査1課長が記者会見で発表した。警視庁ではオウム真理教による犯行との見方が浮上していた。

提供=服藤恵三さん 第7サティアン内部へ検証に向かう服藤さん - 提供=服藤恵三さん

「誰もが一発合格する」昇任試験に不合格

中学の頃から理数系科目が得意で、証明問題を独自の方法で解いて数学教師を驚かせた。進んだ東京理科大学では「応用がきく」と化学を学んだ。

ある日、警視庁科捜研に勤める同大OBの話を聞いた。薬物鑑定を行い、裁判にも証人出廷するという。「世の中のためになる仕事だ」。魅力を感じて採用試験を受け、81年、技術職である科捜研研究員になった。

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入庁3年目で「誰もが一発合格する」という主任昇任試験を受けたが、2年連続で落ちた。鑑定方法を巡ってよく上司と衝突していたことが影響したとみられ、「内申」が低かった。プライドが傷つき、「もう辞めてやる」と思い詰めた。

「どうせ辞めるなら博士号を取ってからにしよう。組織を見返してやる」。日中は科捜研で働き、夕方からは東邦大学で薬理学を学ぶ日々が始まった。

3カ月後、師事していた伊藤隆太教授からこう聞かれた。

「君はいつも『博士を取りたい、取りたい』と考えていないか」。温厚な伊藤教授にしては厳しい口調だった。

「学位は目標ではない。取得してからが始まりだ。死ぬまで社会貢献する責任を背負うんだ」

心中を見透かされたと思った。警察で認められなかった腹いせに学位取得のみを目指していた未熟さを恥じた。実験に打ち込むようになり、92年、薬毒物の研究で医学博士を取得した。

博士になって3年後に起きた地下鉄サリン事件は、蓄積してきた知識や磨いてきた技術が最大限に発揮されることになる捜査現場だった。

サティアンにあったもの

事件から2日後の95年3月22日。警視庁は山梨県上九一色村(当時)のオウム施設へ強制捜査に入る。3週間前に拉致された目黒公証役場事務長・假谷清志さんの逮捕監禁容疑。連日の捜索で膨大な量の資料を押収した。

「化学がわからない。教えてほしい」。こう請われて化学式が書き込まれた「実験ノート」などを精査すると、理屈の上ではサリン製造は可能だとわかった。それを実行できていたのかが捜査のカギとなった。