これに対しひかり氏は、「私の声まで奪われるのかと思った」と話している。

不祥事を国民に知らせようとしない隠蔽体質と透明性の欠如

大阪高検のこのメールと北川被告の手紙に共通しているのは、検察への影響を何より先に考えていることだ。被害者の思いへの配慮はどこにあるのだろうか。検察はかつて「被害者とともに泣く検察」というスローガンを掲げていた、と北川被告とは別の元検事正が会見配布文書で言っているが、正直言って、そうしたスローガンが検察内に存在していたこと自体に驚いた。そんな検察官像の存在を感じられないでいる国民が、今は多いのではないだろうか。

そもそも北川元検事正逮捕の際、大阪高検は容疑の詳細をほとんど明らかにしなかった。初公判後にひかり氏が勇気を出して会見で語らなければ、国民の信頼を裏切るこんな重大な性暴力事件を検察トップの一人が起こしていたことの中身が、どれだけ知られていただろうか。不祥事を国民に知らせようとしない隠蔽(いんぺい)体質と透明性の欠如こそが、国民の信頼をさらに裏切る行為であることがわかっているのだろうか。

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大阪高検が被害者に「口止め」メールを送ったことが意味するもの

現在ひかり氏は、検察の閉鎖性こそが問題で、民間に比べてガバナンスや人権意識のアップデートも遅れていると指摘し、検察組織を監察できる独立した第三者機関の設置を求めている。また被害者の権利を守る被害者庁の創設も呼び掛けている。検察内部の問題を公正に裁くには、検察の中で行うのでは無理で、外部の目が必要だという考えからだ。ジャニー喜多川性加害問題の時も、国連人権委員会に、日本には政府から独立した人権機関がない、と批判されていたことが思い出される。

フジテレビの件や今回の場合もそうだが、こうした独立機関や救済制度がないことも相まって、多くの個人が多大なリスクを負って、有力者や権力者による人権侵害を訴えざるを得ない状況が続いている。こうした状況は早く変わっていかなければならない。