非合法、半合法、合法

 方針では、工作員の指導核心を育てることの重要性を指摘しながら、指導核心が工作戦術においてすべての側面で合法的でなければならず、合法的な身分と職業をもたなければならないと強調している。対外情報調査部の指導核心とされた辛光洙らエリート対日工作員は、この方針によって、合法的身分を獲得することが求められ、その結果、なり代わった対象を北朝鮮に拉致することで、偽装工作の完璧を期すようになったものと推測される。

 北朝鮮では、秘密工作員の基礎知識として、工作員の身分の段階を非合法、半合法、合法の三つに分類しているという話をよく耳にした。非合法とは、偽造した身分証もなく秘密裏に工作対象地に入り、人目につかないように行動するもので、たとえば工作船で日本に入った工作員が、「土台人」の家に隠れ住みながら、現地の組織員たちに指令を下すといった形式である。半合法は、それなりの偽造身分証を持って侵入し、各地を移動したり、「土台人」の保護下で働いたりはできるが、完全な身分偽装ではないため、いざ周囲の人間や警察などに疑われていると感じた瞬間に姿をくらますしかない。当然、長期的で安定した活動は難しくなる。1970年代初めまでの拉致を伴わないなり代わり工作は、この半合法に近いといえる。

 その点、合法であれば正式に法的身分が確保されているため、対象国内での活動はもちろん海外にも自由に出入りでき、安全かつ安定的な活動が保証される。

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 私は工作員に対する日本語教育をさせられていたことから、工作員たちが党の方針のもと、身分の法的合法性を取得するための作戦を練るのに必死だった様子をよく見聞きした。

 当時、身分的合法性を得る方法としては、マカオやバングラデシュ、ペルーといった国に、まず北朝鮮の旅券や外国の偽造旅券で入国し、正体を隠して潜伏生活をしながら、新たにその国の国籍や旅券を入手するのが一般的だったようだ。しかし、入国管理統制がより厳正な日本の場合、ゼロから新たに国籍や旅券を獲得するようなことはほぼ不可能だった。そのため考え出されたのが、実在の日本人になり代わる方法であり、それが「進化」して対象者を拉致するようにまでなったと考えられる。

 チェ・スンチョルはあるとき、私にこんな話をした。

「日本国内では人は殺せない。日本の警察は、人が一人いなくなる分には騒がない。年に数万人にも達する行方不明者の一人として扱うだけだ。しかし、殺人となると、目の色が変わり、その後の我々の工作に大きな影響を与える。だから、北朝鮮に連れてくる」

 チェ・スンチョルは自ら身分盗用に利用しようとしていた二人目の日本人(小住健蔵さん)を北朝鮮に拉致したかどうかまでは私に明かさなかったが、その意図があったことだけは明らかだった。

 彼のどこか自慢気な、淡々とした話に、罪のない日本人をただの「工作」対象としかみない北朝鮮工作機関の非情さ、冷酷さを改めて感じ、身震いしたのを覚えている。

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