1978年当時20歳の蓮池薫氏は北朝鮮工作員に拉致され、以来24年もの間、独裁政権下で生きてきた。なぜ、蓮池氏は拉致されなければならなかったのか。いったい、どのように拉致が行われているのか。

 同氏の著書『日本人拉致』(岩波新書)の一部を抜粋して紹介する。(全2回の1回目/続きを読む)

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スパイ網の構築のために

 朝鮮労働党作戦部の支援のもと対外情報調査部によって拉致された日本人のうち、横田めぐみさん、田口八重子さん、地村保志さん・富貴惠さん、市川修一さん・増元るみ子さんの6人は、私たち夫婦がその管理下にあった対外情報調査部内で、直接接触したり、間接的に存在を確認できた人たちだ。

 それ以外の4人については私たちが帰国したあとに、対外情報調査部による拉致被害者であることが確認された。

 久米裕さんに関して、彼の拉致に深くかかわり、日本警察によって国際指名手配されている金世鎬(キム・セホ)は、私自身何度か会ったことがある対外情報調査部の人物だった。金世鎬は対外情報調査部「指導員」の肩書をもち、キム・スンテクと名乗っていたが、彼の赤みを帯びた強面の顔は非常に印象的で、国際指名手配の顔写真を見た瞬間、すぐに同一人物であると確信した。

 また、曽我ひとみさんは拉致されて間もなく、対外情報調査部の管理下に置かれていた横田めぐみさんとともに生活していた事実から、原敕晁さんは、彼を拉致した辛光洙が対外情報調査部の対日工作員であった経緯から、対外情報調査部によって拉致されたことが確認される。曽我ミヨシさんは娘のひとみさんと一緒に拉致されたため、やはり同機関による拉致とみて間違いないだろう。

©AFLO

 対外情報調査部は、韓国、日本をはじめ世界各地にスパイ網を構築して、情報収集活動を行うことを主任務としていた。そして当時、情報収集ではもっぱら各国に浸透させていた秘密工作員の活動に依存していただけに、12人の日本人拉致も、秘密情報工作員の確保やその質向上に目的が置かれていたといえる。

「土台人」を利用してのなり代わり

 まず、外務省が指摘するように「工作員による日本人への身分の偽装」目的であることが明らかなのは、久米裕さんと原敕晁さんの拉致である。

 久米さんの拉致に深く関与して逮捕された「土台人」(北朝鮮工作員が日本に浸透してから活動の足場や拠点として利用する人間)の李秋吉(イ・チュギル)は、「吉田」という偽名を用いていた工作員の金世鎬から「日本人で独身の45歳から50歳くらいの男性を送れ」という指示を受けた。金融業を営んでいた李秋吉は、顧客の一人であった久米さんに金儲けの話を持ちかけ、戸籍謄本を取らせたあと、能登半島の宇出津に誘い出し、工作船で迎えに来た人間たちに引き渡した。