45~50歳という年齢条件や戸籍謄本の詐取などからして、金世鎬本人が久米さんになり代わろうとした可能性が高い。1977年当時、金世鎬の年齢は47~48歳であり、他の同種の事件をみても、工作員自身が対象者の選定から拉致するまでの過程に深く関与するのが通例だからだ。結局この工作は、李秋吉の逮捕により、拉致は行なわれたもののなり代わりには失敗している。
原敕晁さんの拉致は、前章でも述べたように、対日工作員・辛光洙が1985年、韓国に入国したところを逮捕され、自白したことで明らかになった。
自白によると、彼は1980年4月、大阪の「土台人」を通して、自分がなり代わる日本人として原さんを選び、宮崎県の海岸に誘い出して北朝鮮に拉致した。人選の条件は、年齢のほかに、未婚で親類縁者がいないこと、旅券の未取得、借金や前科のないことなどだったという。
辛光洙は拉致した原さん本人からさらに詳しい事情聴取を行なったうえで、同年月に日本に再入国し、原さん名義のパスポート、運転免許証を取得している。彼が逮捕された原因は、旅券の不備などではなく、組織関係者の告発によるものであり、そういう意味では、逮捕までの4年間、なり代わり工作は有効に機能したことになる。
拉致はせず身分だけ利用したケースも
北朝鮮の工作員が日本人もしくは日本居住者になりすまして各種証明書を取得した事例は、すでに1960年代から多くみられる。1962年の大寿丸事件で逮捕された崔燦寔(チェ・チャンシク)は、大阪在住の帰化した在日韓国人になり代わって船を購入し、1968年に東大阪事件で逮捕された韓春根(ハン・チュンゴン)は、ある日本人女性を通じて自分と同年代の男性の戸籍抄本を取得して日本国旅券取得した。また、1971年に石原事件で逮捕された呉順培(オ・スンベ)は、知人の兄の戸籍抄本を入手して日本国旅券を取得し、1974年に北総事件(千葉県)で逮捕された孔泳淳(コン・ヨンスン)も日本人の他人名義で日本国旅券を不正に入手したとされる。
これらの事件で身分盗用に利用された日本人や日本居住者が北朝鮮に拉致されたという事例は明らかになっていない。すなわち拉致はせず、身分だけを利用した可能性が高い。しかし、1977年前後からは、なり代わり工作に拉致が伴うようになった。久米裕さん拉致以前の1976年12月にも、対日工作員チェ・スンチョルが戸籍横領の発覚を恐れ、身分を盗用していた小熊和也さん本人を北朝鮮へ拉致するように部下に命じたことがあるという(この拉致工作は小熊さんがその後、病死したため行なわれなかった)。
このように身分だけの利用から、拉致を伴うなり代わり工作が行なわれるようになった背景には、対外情報調査部における工作方針の転換があったと考えられる。
1996年にソウルで出版された元朝鮮労働党工作員シン・ピョンギル(仮名)の著書『金正日と対南工作』によると、1975年11月に北朝鮮指導部から対南工作における新たな方針が出されたという。
