「この道こそが万博の大動脈なのだ」
ともあれ、そんなわけでひたち野うしく駅、東も西もよく似た町並が広がっている。二所ノ関部屋に通じるふれあい通りは東口側のメインストリートのようで、道沿いには大きな駐車場を備えた飲食店やスーパー、ホームセンターにコンビニといった商業施設が並んでいた。
反対に西口には、歴史的にはふれあい通りを遥かに凌駕するであろう国道6号、水戸街道。ひたち野うしく駅の町中を通るところではふれあい通りと同じような顔をしているのだが、それでもところどころにブロック塀の古めの家があったりして、この地域のいわば原点のような街道なのだろうと教えてくれる。
ふれあい通りも水戸街道も、常磐線と並行して町中を南北に走る大通りだ。それに対し、線路と交差するように東西を貫く大通りも何本か用意されている。そのひとつが、駅のすぐ南側で線路をアンダーパスしている学園西大通りだ。
学園……というのは、もちろんひたち野うしくのことではない。学園西大通りをずっとずっと西へ北へと進んだ先の、筑波研究学園都市のことだ。
つまり、ひたち野うしく駅からつくばの町中までは学園西大通りで直結しているのである。そして、この道こそがつくば万博で来場者輸送を担った大動脈なのだ。
いまでこそ、つくばの町中、また万博会場だった場所にはつくばエクスプレスが通っている。
が、つくばエクスプレスの開業は2005年のこと。だから、つくば万博は鉄道が一切乗り入れていない、まるで陸の孤島のような場所で開催されていた。
つくば万博に足繁く通った人にすれば、大阪・関西万博の夢洲が不便だとか、地下鉄が停まったら大変だとか文句をたれている人なんてずいぶんと甘ったれ、と感じるに違いない。


