40年前、万博の「最寄り駅」はどこにあった?

 そんなわけで、陸の孤島のつくば万博。それでも約半年の会期中で2000万人以上がやってきたというのだからたいしたものだ。そして、その来場者輸送を支えていたのが学園西大通りとひたち野うしく駅……もとい万博中央駅である。

 万博中央駅は、ちょうどひたち野うしく駅があるのと同じ場所につくば万博の会期中に限って設けられた臨時駅だ。

音の出る記念切符を買う人々で大混雑の国鉄万博中央駅(1985年3月17日)©時事通信社

 その当時、駅周辺のニュータウンはまだできておらず、水戸街道沿いを中心にいくつかの古い小集落があるていどの農村地帯。そこに大通りを整備して臨時駅を設け、2000万人もやってくるという万博の来場者輸送を担わせようとしたのである。

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 ちょうどこの時代の地図を見ると、ちゃんと「万博中央」という駅が描かれている。周辺がまだ開発されていないこともつぶさにわかる。

「半年で地図から消える予定」の「20万人がきても大丈夫」な駅

 万博会場まではやや距離があるものの、すでに学園西大通りは整備されている。東京に一番近い万博アクセスの“表玄関”といったところか。何しろ堂々と“中央駅”を名乗っているのだ。

 万博中央駅西口には広大なバス乗り場。駅前から万博会場まではおおよそ20分ほどの「スーパーシャトルバス」が結んでいた。このために集められたバス車両は実に100台。東口にはバス車両のための巨大バスプールが設けられていたという。

国鉄万博中央駅と会場を結ぶバス(1985年3月17日)©時事通信社

 上野駅から快速「エキスポライナー」が運転され、駅そのものも20万人ものお客が一度に押し寄せても問題ないようなスペースを確保するなど、わずか半年で閉じられる運命の臨時駅とはまったく思えないような設えだった。

 だからもちろん地元、牛久市などからは万博が終わってもそのまま常設の駅にしてくれませんか?というお願いはされたようだ。

 が、最初から臨時駅として設けたわけで、耐久性なども考えればそういうわけには参りません、と国鉄さん。改修でもすればなんとでもなりそうなものだが、決まったことは決まったとおりに、ということなのか。