いずれにしても万博中央駅はつくば万博が終了すると同時に役割を終えて、わずか半年で地図から消えることになった。そしてそれから10年と少し経った1998年、まったく同じ場所にひたち野うしく駅が姿を見せたのである。
万博から40年、つくばエクスプレス開業から20年、「ひたち野うしく」の“不思議な歴史”
学園西大通りに触発されたのか、周辺の開発が一気に進み、それを受けて牛久市と住宅公団が費用を負担する形で駅が新設されたのだ。万博中央駅から13年、見た目はもちろんまったく似ても似つかぬもので、当時から変わっていないのは学園西大通りくらいなものだった。
ただ、1998年のひたち野うしく駅開業当時はまだつくばエクスプレスは通っていなかった。だから、万博会期中と同じように、生まれ変わったひたち野うしく駅は筑波方面へのアクセスを担う駅という役割も持っていたのである。
つくばエクスプレス開業前、ひたち野うしく駅のお客は1日約6700人(乗車人員)。まだ開発途上で駐車場ばかりが目立っていた町の中の駅にしては、なかなか健闘しているといっていい。
2005年につくばエクスプレスが開業するといったん低迷するが、その後は周辺の開発が進んだおかげなのかどうか、すでにつくばエクスプレス開業前の水準を上回るようになっている。
昼下がりに町中を歩けば、学校帰りの小学生の集団が歩いていたり、また小さな子どもを連れたお母さんが歩いていたり。もう少し時間が下ると、学校帰りの高校生の姿もちらほらと。ここ数年でこの町にやってきた新しい住民も、少なくないのだろう。
そんな彼らのうち、40年前のつくば万博と万博中央駅のことを知っている人がどれだけいるのかはわからない。万博中央駅の痕跡を留めているのは、西口ロータリーの端っこに置かれている記念碑だけだ。
ただ、ひたち野うしく駅というニュータウンの真ん中の駅は、いったん消えた万博アクセス駅が名前を変えて蘇ったという、実に不思議な歴史を抱えていることだけは、間違いのない事実なのである。
写真=鼠入昌史
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