ひとりの男のメモから発覚した「造船疑獄」

 この「昭電疑獄」の6年後に浮上したのが、「戦後の二大疑獄」のもう一方の「造船疑獄」だった。これは、戦後の海運業界復興のための計画造船をめぐって、海運・造船業界から政官界への贈賄が発覚した事件。逮捕者は89人に上ったが、佐藤栄作・自由党幹事長(のち首相)の逮捕許諾請求を犬養健・法相が「指揮権発動」で拒否。「事件はほぼ闇に葬られた」=『日本近現代史辞典』(1978年)。

 この事件でも「宴会政治」が大きな話題になった。捜査の“火付け役”となったのは「金融王」森脇将光*だ。森脇は1954(昭和29)年2月19日、衆院決算委員会に参考人として出席し、「現職閣僚が造船問題で待合取引を行った」と爆弾証言。自ら調べ上げた「森脇メモ」を田中彰治委員長(のちに「黒い霧事件」で逮捕され失脚)に提出した。
*森脇将光=高利貸し、土地分譲、海外投資などで財を成し、戦後、全国長者番付1位になったこともある「森脇文庫」社長

森脇証言は造船疑獄に火をつけた(読売新聞より)

 メモ自体は公表されなかったが、右派社会党(当時、社会党は右派、左派に分かれていた)の佐竹晴記・衆院議員が翌20日、「森脇メモ」と同一とする「佐竹メモ」を公表した。接待の宴会のうち、東京・赤坂の老舗料亭「中川」(1982年廃業)の分だけだったが、その一部を20日付毎日夕刊の記事で見るだけでも……。

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▽5月1日 脇(飯野海運常務)の招待席、芸者17名▽同日 六岡(播磨造船社長)の席、出席者・伊藤、俣野、六岡、尾上、芸者12名▽同進藤の席、出席者・佐々木、三好、永野、三崎

 

▽同日 日産汽船の席、出席者・草葉、渡辺ほか2名、芸者10名

 

▽5月18日 日本海運・川合(社長)の席、出席者・小林、高橋、長崎、俣野、広瀬ほか数名、芸者29名

 

▽8月26日 多賀の席、出席者・多賀、犬養、小田、芸者23名

 

▽9月2日 俣野の席、出席者・重成、大臣、永野、奥村、俣野、大野、古垣、迫水、芸者20名

「佐竹メモ」に記載された接待記録(読売新聞より)

 犬養、大野といった現職閣僚らしい名前も見える。2月24日付読売にも、新造船披露レセプションのため新橋、赤坂、柳橋の芸者計数百人が呼び集められたという記事が。「レセプション1回の費用は1000万円(現在の約6300万円)というのが相場だった」という。