葉月 当時は「元気になったら絶対にニューヨークに戻る!」くらいの気持ちでいたのですが、日本に帰ってきたら安心したのか、心が折れてしまって。入院もしたのですが、よくなるどころか、過食症はさらに酷くなっていきました。母親が家族のために作った夕食を、一人で全部食べて、そのあと吐いてという状態です。吐いて疲れるから、リビングのソファに寝転がって、見たくもないテレビをずっと見ていました。
食べるか、吐くか、横になるか、という生活をしているうちに、ニューヨークに戻るどころか、引きこもりの生活になってしまい。そんな生活が4年間続きました。
――その頃、脱毛症を発症されたのでしょうか?
葉月 はい、26歳のときです。家のソファに横になっていて、何気なく頭をさわったら、ツルっとした感覚があって。母親に見てもらったら、10円くらいの大きさで脱毛していると言われて、すぐに皮膚科に行きました。そこでは塗り薬と飲み薬をもらったんですが、飲んでも塗っても一向によくならないんです。それどころか、1つだった丸が2つになって、10円サイズだったのが500円サイズになって……。
どんどん毛のない部分がつながっていきました。そうこうしている2~3カ月の間に、あっという間に毛がなくなってしまい、今度は大学病院で紫外線の治療を受けることになりました。
「もう、どうなってもいいや」
――症状は良くなったんですか?
葉月 効果もでないし、定期的に病院に通うのも厳しくなって、途中で治療をやめてしまいました。今でも当時の記憶ははっきりしないんです。
――当時、印象的だった記憶はありますか?
脱毛症で髪がなくなる前のことなんですが、引きこもっている間に、母への怒りが増していき、毎日母に怒っていました。幼少期にできなかったことや、制限されてきたことへの恨みが、大人になって思うように生活できなくなったタイミングで爆発したんです。「なんであのとき、あんなことをしたの!?」「あのときの、あの発言はいらなかった」とか、そんなふうに、いちいちぶつかっていました。
――今までためこんでいたものが大きかったんですね。
葉月 そうです。それで、いつものように些細なことで母と喧嘩をしました。そのとき、すべてが嫌になってしまって、「もう、どうなってもいいや」と思い、発作的に2階の自分の部屋から飛び降りました。自宅の2階でしたが、けっこうな高さでした。
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