東口の「いわく付きの建物」が語る“狂想曲”

 反対の東口はどうだろう。こちらにも西口と同じくらいに立派な駅前広場がある。本来はここにモヤイ像があるはずなのだが、いまは工事中でどこかにいっていた。東口に東急はなく、代わりにあるのが大田区役所だ。

 実はこの大田区役所、ちょっぴりいわく付きの建物なのだ。

 線路沿いに建つ区役所のビルは、もともと国鉄の貨物ヤード用地だった。国鉄分割民営化に際し、桃源社という不動産事業者が購入。1992年に桃源社ビルが完成した。ところが、その間にバブルが崩壊して桃源社が倒産、工事代金の支払いができなかったのだ。

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 結局完成したビルはそのまま差し押さえられて桃源社の手には渡らず、そのまま無人のビルになった。何でも、“幽霊ビル”などと呼ばれていたという。

 駅前の超一等地、さすがにそのまま幽霊ビルではマズイよね、ということになって大田区がビルを購入、1998年に移転していまに至っている。

 大田区も貨物ヤード跡地の入札には参加したというが、入札金額は200億円ちょっと。桃源社は656億円で入札したというから箸にも棒にもかからない。それがものの数年で倒産してしまう。バブルって、途方もない時代だったんですねえ……。

大通りを渡ると “行進曲”が響きそうな大きなホールが見えてきた

 それはともかく、こうしたエピソードもどことなく蒲田の町の雰囲気とマッチしていなくもないような。そして、区役所から区役所前本通りを渡ってゆくと、今度は大田区民ホールという大きな施設が待っていた。

 こちらもいわく付き……と言いたいところだが、むしろいわく付きというよりは歴史アリ。ここにはかつて戦前のひととき、松竹の蒲田撮影所があったのだ。そう、蒲田駅の発車メロディでもおなじみ、『蒲田行進曲』の世界である。

 

 なんでも当時の蒲田駅周辺はまだまだのどかな田園地帯。駅の近くに広い土地を確保しやすく、それでいて松竹の本社があった築地までもさほど遠くない。そういう事情で1920年に開設されたという。

 ちなみに、1929年に制作されたサイレント映画『親父とその子』の主題歌が、『蒲田行進曲』。プラハの作曲家、ルドルフ・フリムルのオペラを原曲に歌詞をつけたものだという。