『密やかな炎』(セレステ・イング 著/井上里 訳)

 高級住宅地のシェイカー・ハイツにある、リチャードソン家が火災に遭うところから、物語は始まる。

 火災の原因はいったい何なのか、もし放火だとしたら犯人は誰なのか。

 ミステリを想定して読み進んだが、物語はそこにとどまらなかった。

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 リチャードソン家は6人家族だ。弁護士の父親、記者の母親、長女のレキシーを筆頭に、いずれも年子で生まれた4人の兄弟姉妹。

 また、母親が所有する物件を借りる母子であるミアとパールも、ストーリーにおいて、重要な登場人物となっている。

 普段あまり外国小説を読まないのもあって、彼らそれぞれの短い名前を覚えるのにすら当初苦戦したが、すぐに馴染んでいったのは、丁寧な人物描写による部分も大きい。わかりやすく、けれど紋切り型ではない彼らの性格は、読み手であるわたしたちを強く惹きつける。誰もが自分に似ている部分を持ち、同様に似ていない部分を持つ。すごく好感を持つ部分も、嫌悪してしまう部分も。

 章は時に、時代を行き来する。今は母である女性が誰かの娘だった頃。秘められている過去が明かされていくうちに、単なる家族小説ではないのだと、改めて教えられる。

 この小説では、妊娠や母親というのが、大きなテーマの一つとなっている。

 私事になるが、数年前に出産した直後に、もしも子どもが病院で入れ替わっていたとしたらどうしよう、と繰り返し考えていた時期があった。妄想に近いイメージを脳内で繰り返しながら、親子を親子たらしめるものは何か、そもそもそうしたものは存在しているのか、と考えていたのだが、結局結論の出なかった問いを、本書を読みながら、またよみがえらせていた。

 リチャードソン家の人々は、多かれ少なかれ、みなミスをおかしている。パールもミアも。彼らの選択が、冒頭の火災を導き出してしまっている。けれど、どうすればよかったのか。誰にも、もちろんわたしにも、わからない。この世にミスをおかさない人間なんていないのだし、誰も好んで不幸に進んでいこうとしているわけではないと、痛いほどに伝わってくる。彼らはいつだって真剣に自分の人生と向き合っている。

 ミステリという枠組みにも、家族小説という枠組みにもおさまらずに、本書はあらゆる問いを突きつけてくる。親子関係、差別、格差。普段は気づかずに過ごしている問題を、けして押しつけるのではなく、小説を通して、こちらに静かに問いかけてくるのだ。

 生活環境をはじめ、まるで自分とは違う彼らを、ことにリチャードソン家の母親エレナを、わたしは思う。他人事だと切り離すことも、安易に非難して嫌うこともできない。

 読後に残る余韻は、光とも痛みとも呼べそうなものだ。まぎれもなく傑作だ。

Celeste Ng/1980年、ペンシルバニア州ピッツバーグ生まれ。香港からアメリカに来た両親のもとに生まれ、9歳のときにオハイオ州シェイカー・ハイツへ移住。本書は2020年にドラマ化され、全米370万部を突破。

 

かとうちえ/1983年、北海道生まれ。歌人・小説家。著書に『ハッピー☆アイスクリーム』『この場所であなたの名前を呼んだ』等。