やなせさんは、飴や煎餅の開発・販売に苦労する女性達に報いようと「しょうがちゃん」「センベちゃん」というキャラクターを描く。

 2009年には徳久さんの提案で後免町商店街を「やなせたかしロード~少年の心になれる道~」と命名した。

 やなせさんは長い間、南国市と縁が切れた状態だったので、故郷といっても形あるものがほとんど残されていなかった。

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「後免町商店街を水木しげるロード(鳥取県境港市)のようにできないか」

 小学2年生から18歳まで過ごした「柳瀬医院」は解体されて更地になっていた。その空き地で小学5年生が「発見」したライオンの石像は、やなせさんが「やなせライオン」と名づけて後免野田小学校の中庭に移設されたが、他には何もなかった。

ライオンの石像「やなせライオン」は教室から見える(後免野田小学校)

 一方は空き地、もう一方は立ち入れない小学校。「やなせさんの故郷に行ってみよう」という人がいても、シャッター通りと化した後免町商店街ぐらいしかなかったのである。

 徳久さんは「後免町商店街を水木しげるロード(鳥取県境港市)のようにできないか」と考えた。

「やなせ先生に提案すると、『いいよ』とおっしゃるので、すぐに着手しました」

 調べると、北海道の業者が「アンパンマン」に登場するキャラクターの石像を造っていた。「政府の補助金をもらうなどして、当時造られていた7体を置きました」と徳久さんは語る。

 ばいきんまんの石像を置いた後免町公民館(現在の後免町防災コミュニティーセンター)には説明板を掲示した。なぜ、商店街を「やなせたかしロード」としたかの理由と、『ごめん町』というタイトルでやなせさんが『高知新聞』に寄稿した文章の転載である。

 徳久さんはもう一つの提案をした。

 徳久さんは東京の生まれだ。豊島区の巣鴨には「とげぬき地蔵尊」がある。

「病気のトゲを抜くということで多くの人が訪れます。ならばこちらは『ごめん』という言葉を互いに言い合うことで、心のトゲを抜き、優しい心になれるお地蔵さんを作りたいと思い、やなせ先生に提案しました。すると、『神社がいい』と言われたのです。先生は当時、生姜に凝っていて、『生姜の神社を作りたい』とおっしゃいました」