徳久さんはやなせさんから「子供達を生むのは私。でも育てるのはあなた達です。ぜひ、いろんな形で育ててください」と言われたことがある。

「ばいきんまん事件」の事後処理も含めて、やなせたかしロードでは住民や高校生による様々な取り組みが行われている。それは、やなせさんが言う「育てるのはあなた達」という実践なのかもしれない。

「ごめんのごめん生姜飴」や「ありがとう煎餅」の販売は、製造を委託した事業者の都合もあって続かなかったが、「ハガキでごめんなさい全国コンクール」は2024年度で第21回を数えるイベントになり、全国に「ごめんの町」を知らしめた。ダジャレから始まった催しだったが、人間社会で「ごめん」という言葉が持つ意味を深く考えさせられるコンクールに成長した。これも、後免町の人々が「育てた」からだろう。

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やなせたかしロードを命名した理由の説明板を前に徳久衛さん(後免町防災コミュニティーセンター)

「ばいきんまん事件」から4年後の2013年、やなせさんは体調を崩していた。

「病気の影響で甘い物が食べられないので……」

 徳久さんは思い立ってやなせスタジオに連絡した。

「その頃、先生は入退院を繰り返していて、私達も気を遣ってあまり連絡をしないようにしていました。年に1度、『「ハガキでごめんなさい全国コンクール」がきちんと実施できました』と報告するぐらいで済ませていました。でも、その年は何か気になり、秘書の越尾正子さん(やなせスタジオ代表)に『先生の好きな柑橘(かんきつ)類を送りたいのですけれど』と連絡しました。すると、『病気の影響で甘い物が食べられないので、高知県安芸(あき)市のナスを送ってほしいと言っています』と返答がありました」

昨年度は「ハガキでごめんなさい全国コンクール」の投函箱が後免町防災コミュニティーセンターに置かれた

 安芸は日本一の生産量を誇るナス産地だ。

 徳久さんは友人を介して農協の組合長に「やなせ先生が安芸のナスを食べたがっているので買いたい」と伝えた。すると、組合長が「私が自分で目ききして一番いいナスを選びます」と、徳久さん宅まで持って来てくれた。徳久さんはその日のうちに冷蔵宅配便でやなせスタジオに送った。