やなせさんが言ったことは……

 娘が『角で見えなくなったところで、ゴンと音がしたよ』というので、近くに止めてあった車に何かされたかもしれないと見に行くと、車の前にばいきんまんの角が捨ててありました。高齡者のように見えたのは、角が重すぎてヨタヨタとした歩き方になったからでしょうね」

 警察やメディアが来て、大騒ぎになった。

 徳久さんがやなせさんに連絡すると、「よそでこういうことがあると犯人探しをするけど、犯人は探さないでおこう」と言われた。

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 徳久さんは「ごめんなさい」と言ってもらいたいのが本音だったが、やなせさんが言う通り「犯人もきっと後悔しているのだろうな」とも思った。

 ただ、折れた箇所があまりに痛々しいので、ガーゼ付きのばんそうこうを拡大コピーして貼りつけた。「子供達には見せたくなかったのです」。

折れた痕が痛々しいばいきんまんの角(やなせたかしロード)

 南国市内の石材店が無償で直してくれたのは約1カ月後。その後もしばらくは包帯を巻いた。

「だって、普通の人間なら大変ですよ。今も手術痕が残っています」と、徳久さんの妻・万希子さんが言う。角の根もとには明らかに付け直したと分かる深い「傷」があり、相当に痛々しい。

「犯人を探さないでおこう」と言ったやなせさんの気持ちは、もしかしたらアンパンマンのばいきんまんに対する気持ちと似ていたのかもしれない。

「人間は孤独だけども、共生していくことでしか存在できません。ばいきんまんがどんなに悪さしてもアンパンマンは徹底的にはやっつけません。どんな人間も同じ世界で生きていく存在なんだという世界観が、やなせ先生にはありました」と徳久さんは語る。

 一件落着した後免町には、やなせさんから色紙が届いた。

 笑顔のばいきんまんの絵とともに「ごめんのみなさん ごめんなさい おさわがせしましたが 『元気ひゃくバイキンマン』(ママ)と書かれていた。レプリカを後免町防災コミュニティーセンターに掲示してある。

 その後のやなせたかしロードでは、地元の県立高知農業高校の生徒が誘客に知恵を絞り、クリスマスに石像に衣装を着せるなどしている。通り沿いには農業高校の生徒が育てたプランターが置かれ、毎年夏休みには住民と協力して汚れた石像を洗う。