漫画家のパーティで無力感を植え付けられた時期
フジワラ さいとうさんって、そういうモヤモヤ体験ありました?
さいとう 例えば漫画家さんが集まるパーティーで、挨拶している相手から「誰この人?」という目を向けられているように感じたり、有名な先生が入ってくるとみんながさっとそちらに流れてしまったり……自分は主役じゃない、という無力感が植え付けられた時期がありました。だから、パーティーは嫌い!
フジワラ 自尊心がすり減ってくるような体験ですね。
さいとう でもそういう僕のルサンチマン、名前が売れたらけっこう解消しちゃったんですよ。「もう別にこれでよくない?」って。なんだか嫌だなぁ……というとき、「二度とあんな目にあいたくない」「見返してやりたい」というマイナスのモチベーションって意外と大きな力だったことに気付かされました。
もっと人として愚かなほど強欲でありたかった(笑)。
フジワラ あれだけ精力的にYouTubeや作品制作をされているので、ちょっと意外です。
私の場合は欲というより、ADHDで「できない」ことがすごく多いので、イラストの仕事も「したい」というより「それしかできない」ところから始まっています。これは本にも書いていないんですが、適応障害でお酒の会社を辞めた後、実は別の会社に就職してみたものの、入社1週間で「明日から来なくていいよ」と言われてしまったんです。結果的に、自分にできないことを自覚して、「もうイラストでやっていくしかない」と腹をくくれたことが人生の岐路となりました。
さいとうさんは独立される前、コナミで働いてましたよね?
さいとう コナミに入れたのはすごく嬉しかったんですが、この会社で何をやりたいというのを明確にせずにノリで入ったから、自分が全然やりたくない仕事の部署に配属されたんですよ。僕がいけないんですけど。
結局1年半で辞めてしまい、考えなしで行動すると自分の望まない方向にいくということを痛感しましたね。
自分の絵柄をどう確立してブランディングしたか?
フジワラ その後フリーランスとして活動を始められてますが、駆け出しの頃にイラストレーターが一番悩むのは「自分の絵柄をどう確立してブランディングするか」だと思います。さいとうさんはどう模索されましたか?
さいとう いま振り返ると、20代後半まではブランディングなんて全く考えていませんでした。唯一考えていたのは「絵が上手くなること」だけ。「自分のクライアントがどういう人なのか」「どういう人に来てもらいたいのか」まで考えが至りませんでした。とにかく絵が上手くなれば、誰かが仕事をくれるだろうと思っていたんです。
でもある日、今はアニメ会社の社長をやっている友人から、悪気なく「なおきくんって、なんでそんな絵描いてんの? もうちょっとFF(ファイナルファンタジー)っぽい絵描いてよ」と言われたんです。そのときはすごくカチンと来たんですが、確かに「どこで使われるのか、誰から依頼されるのか」を考えないと仕事来ないよな、と。そこから、自分のイラストは「誰から頼んでほしいのか?」を真剣に考えるようになりましたね。

