新刊『西洋の敗北』の刊行がきっかけで招待を受け、4月上旬にハンガリーを訪問したエマニュエル・トッド氏。現地で気づいた、西洋社会の退行について語った。(通訳=大野舞)
オルバン首相との会談
ブダペストでの講演の前日、先方の希望で、ハンガリーのオルバン首相と面会しました。彼と彼の側近が私の『西洋の敗北』を熟読していて、演説でも大いに活用していたのです。
「私たちは、西洋の道徳的・社会的衰退について話し合った。彼〔トッド〕によれば、ハンガリーは主権を堅持し、外部からの圧力に抵抗することで際立っている」とオルバン自身がSNSに記したように、主に「国家主権(国家の自立)」をめぐって約2時間、議論しました。ただ、この出会いで最も印象的だったのは、彼のオフィスの“優雅さ”です。
彼の執務室全体は、ブダペストの丘の上に聳える古い修道院のなかにあります。この上なく壮麗な場所ですが、彼のオフィスは、簡素な寄木張りの床で極めて質素。それでいて、とてもエレガントな空間だったのです。金箔で過剰に装飾されたパリのエリゼ宮(仏大統領官邸)とはまったく対照的です。古典的な教養と感性をもつ日本人なら、オルバンのオフィスの方が居心地がきっと良いはずです。
最も驚いたのは、「ツラン民族分布地図」〔中央アジアを起源とする諸民族の文化的統一性を主張する「汎ツラン主義」の地図〕という戦前の日本語の地図が首相執務室に掲げられていたことです。「ハンガリーと日本は似た色だ」とオルバンは指摘し(この地図自体は「汎ツラン主義」という半ば空想の産物かもしれませんが)、日本への親近感を示しました。
オルバンには“政治家”という以上に“知識人”の趣きがありました。例えば、マクロン仏大統領やスターマー英首相は、断じて“知識人”ではない。私は『西洋の敗北』にこう記しています。
〈「選挙に当選する」――それはもはや茶番劇でしかないが、しかし実際の劇のように特殊能力と労力を要求する――という新しい仕事に忙殺されている政治家たちには、国際関係への対応能力を身につける時間などない。こうして彼らは必要とされる基本知識をまったく持たずに国際政治の舞台に出ることになる。(略)そんな状態で彼らは本物の敵に直面するのだ。そんな彼らは敵に何の印象も残さない。敵たちには、逆に世界について考える十分な時間があったのである。〔プーチンや習近平にとって〕ロシアでの選挙や中国共産党内部での権力闘争を勝ち抜くのに、それほどまでのエネルギーを注ぐ必要はない、という点は認めなければならないが、プーチンや習近平に比べると、ジョー・バイデンやエマニュエル・マクロンの能力が明らかに劣っていることを西洋は目の当たりにし、劣っている理由も理解し始めたのである〉