『恋の収穫期』(最果タヒ 著)小学館

 恋に恋する学生達を描いた少し不思議な恋愛物語、と見せかけて、恋愛を容赦無く解体し、その中身を丁寧に陳列するような作品である。私達は腑分けされた恋の内臓を端から端まで見て、どこまでが自分の思う「恋」なのかを定めさせられるのである。けれど、この線を引いている最中にも、物語は私達を挑発的に揺さぶってしまう。

 最果タヒのソリッドでリリカルで容赦のないキラーフレーズと共に綴られるのは、恋を知らない女子学生達だ。物語の序盤で、彼女達が身体を機械化していない今時ではやや珍しい存在であることや、多くの人間は身体を改造していることを前提として社会を生きていることなどが、本当にあっさりと明かされる。これらのSF設定は全て、人間と恋愛を新しい視点で捉え直す為の豪華絢爛な舞台装置だからだろう。

 この小説の真の主人公は機械化が当たり前な世界に生きながらその前提からこぼれ落ち、いわば世界から疎外されることとなった早見くんである。早見くんは物語の序盤で私達には考えられないほどライトに恋愛関係を持ちかけられ、それを簡単に結ぶ。

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 そんな彼の姿は私達の理解を超えたものに映るのだが、彼のバックボーンが明かされることによって、今度は反対に強烈な理解を押し付けられてしまう。彼の抱えていた苦悩や孤独に寄り添わされてしまう。彼はこの社会においてマジョリティである機械の組み込まれた人間をロボットとしか認識出来ないという致命的な障害を抱えている。機械化に失敗した早見くんはこの視覚的な障害によって、世界そのものから疎外されているのだ。それでも早見くんは世界と繋がることを諦めず、同じように機械化に失敗した人々やアンダーグラウンドな世界とすら関わっていくのだが、彼のあがきは更なる傷を生む。その様は彼の印象を塗り替えてしまうほどに痛ましい。

 物語の登場人物たる彼は読み手に自身の内側を曝け出さざるを得ないのだが、私はこの神の視点に罪悪感を覚えるほどだった。彼の内側にある痛みに触れていいのは、それこそ彼と恋愛関係を結ぶ覚悟を決めた人間だけなんじゃないかと思わされてしまったからだ。

 この作品を読んで、恋愛はやわらかいところを明け渡す行為なのだと改めて思わされて恐ろしくなった。あとがきには「人の中には、白く光る星のようなものがあって、みんなそれを守っている」とあるが、もし恋愛が内に秘めた白く光る星を見せ合い、共に戦うようなものなのだとしたら、それはあまりにも覚悟のいる行為じゃないか。私はその星の存在すら知られるのが恐ろしいのに。

 けれど、だからこそ恋愛にはその人の全てを懸けられるような価値ある一瞬が生まれるのだと思う。そのことを痛切に思い出させてくれる小説である。

さいはてたひ/1986年生まれ。詩人、小説家。著書に詩集『グッドモーニング』『死んでしまう系のぼくらに』『夜空はいつでも最高密度の青色だ』、小説『星か獣になる季節』他多数。

 

しゃせんどうゆうき/1993年生まれ。著書に『恋に至る病』『愛じゃないならこれは何』『星が人を愛すことなかれ』など。